道徳が「道徳の時間」から教科「道徳」に変わります。
これによって2つの大きな変化が起きるはずです。
第1は、「道徳」をサボる教員が激減し、道徳授業をしない教員が懲戒対象になります。
学校の先生はもちろん、子どものいる人もよくご存知だと思いますが「○○の時間」というのは、何かと理由をつけて、他の教科学習や行事練習に振り返られます。しかも、フォローする必要がありません。
しかし、「教科」になるとそうはいきません。
第2は、道徳の教科書ができます。
今は副読本しかありません。
まぁ一般論で言えば(私のような保守派にとっては)望ましいことです。
でも、そうなると教科道徳に反対する人々はその成果を問うでしょう。
道徳が教科になって「いじめ」は減ったのか、校内暴力は、不登校は、NEETの発生率は?
そこまで考えているのでしょうかね、教育再生会議の面々は。
「いじめ」には、集団による(自分かってな)道徳の押し付けという側面があります。
※ 一般的にリベラルな人たちは、この点を強調します。対して保守派は、道徳の内面化に重きをおきます。これについてはネット論客の「論宅」という人が、リベラルの立場から「社会学玄論」というブログで秀逸な文章を書いているので参考にしてください。
私は、10年以内に、数の力で論敵を叩き潰すような「左翼VS右翼」論争は終わり、個別論点について討論し、歩み寄り、妥協点を探る「リベラルVS保守」の時代が来ると思っています(というより来なきゃ日本はダメになります)。
そんな時代には、拙速で低レベルな政策は自陣営に百害あって一利なしです。
※ 例:ブッシュの拙速なイラク侵攻により民主党が議員選挙で勝利する。
武士道の話をしただけで、
「それは価値観の押し付けだ」と騒ぐおバカな管理職が大勢いる学校で
教科「道徳」を導入し、
下手な授業のせいで「いじめ」が増えなきゃいいんですけど。