あるべき断絶とあってはならない断絶

我が国の政治と思想の不幸は、ヨーロッパにおいて存在する

「左翼とリベラルの断絶」

「右翼と保守の断絶」

が存在しないことである。

ヨーロッパにおいては、歴史的経緯からマルキスト社会民主主義は不倶戴天の敵である。

しかし、わが日本ではマルキストの看板で食えなくなった政治家や学者や物書きが、社民の看板を掲げ、そのふりをし、「人権」なる用語を振りかざしている。


右翼と保守もまた、ヨーロッパにおいては峻別されている。

保守政治家や保守的な思想家たちにとって、ナチズムやファシズムの肯定は考えられない暴挙である。
しかし、我が国にあっては昭和初期の戦時体制を美化する者が、堂々と保守を名乗っている。

保守を自称する右翼とリベラルの仮面を被ったマルキストがメジャー言論を占拠し、プロレスまがいのお約束の「論争」を繰り広げる。


ご老人に、くだらない茶番から目覚めよとは言わない。


どうか、ネット言論に携わる中年よ、若者たちよ。あのバカどもの後に続かないでほしい。

保守とリベラルが、相手の主張と立場を尊重しながら妥協点を探る。妥協できないまでも、互いの主張の依拠するところの違いを冷静に認識する。

デモクラシー国家に不可欠なそういう態度が、ネットから生まれてほしいと心底願っている。

保守とリベラル、この間に「断絶」があってはならない。