スクールカーストは他人事ではない その4

スクールカースト」をネット界隈の特殊な用語からリアル社会の定着した用語にすることは、今現在の私の大きな目標です。

それは、この言葉がいじめや不登校といった学校病理を読み解くためのキーワードになると確信しているからです。

本ブログの「スクールカーストは他人ごとではない」シリーズは、「スクールカースト」がメジャーな言葉になることを前提にして、さらに大人たち(マスコミや政府機関や学者たちだけでなく多くの国民)を、リアルな議論に引っ張り込むためのものです。


学校問題がキレイ事でしか語られないのは、左翼思想が学校に蔓延していたからではありません。

教育再生会議の議論を見ていれば解るように、保守的ポジションの人だって、教育については、まったくのキレイ事しか言いません。それは、ほとんどの大人が二度と学校に行かないからです。

自分の問題でなければ、どんなキレイ事だって語れます。
「子どもは本来純真無垢だ」
「子ども社会に上下関係なんてない」
「クラスのみんなと仲良くしましょう」

そんな言葉で現実に蓋をし、

あるいは、現実の醜さを「偏差値競争」や「大人社会の反映」のせいにしてすませてきた教育言論に対し、

スクールカースト」という言葉は一石を投じるはずです。

そして、スクールカースト類似の現象は、シロクマ氏が指摘してくれたように病室でも起きています。

他ブログでどなたかが本ブログに関連して指摘してくれていましたが、
老人施設内で階層があることは、施設職員の「常識」だそうです。

そういった事例を明らかにすることは、子ども社会をキレイ事で語る罪深さと、罪はいつか罰となって自分の身に降りかかることを、大人たちに認識させるでしょう。


(追記1)

 某週刊誌が hate Masao氏に「スクールカースト」について取材をしたことは既にご存知だと思います。

 また、昨日は私が、某地方新聞社の記者から「スクールカースト」について取材を受けました。

 この言葉がどんどんメジャーになることを期待しています。


(追記2)

今日、日本教育学会第66回大会に出席してきました。

シンポジウムの席上、本田由紀氏が「フリーター」「ニート」問題が、「ワーキングプア」という言葉で語られることで議論の様相が変化したとし、言葉の重要性を指摘していました。

さすが国会で「スクールカースト」という言葉を使っただけのことはあります(益々ファンになってしまいました)。