個人か組織か

大阪市役所の職員どもが、組織的に遺失物を横領していたことが内部告発により公になった。
いまどき、同じ自治体職員がここまで卑しいことをしていたと思うと、個人的には中国並みに極刑にしてやりたいと思う。

だいぶ前に、大阪には何一つ良い思い出がないということをブログで書いたら、「個人的体験で大阪が全部そうだというふうに書かないでください」という陳腐なコメントがあったので、ここではっきり書いておきたい。

個人が個人の体験を書くのは当たり前なのだ(そもそもブログは紙上評論で書けないことは書いているのだし)。
しかも、私は決してその文章の中で、「だから大阪人はろくでなしだ」とか「大阪はダメな町だ」とか一般化してモノを言ってはいないし、実際そんなこと思ってもいない(イヤ、今の大阪はダメな町かな?)。

個人の体験談が、あたかも全体がそうであるかのような印象を与えるとしたら、それは「書き手の力量があるので、強烈な印象を与える」というだけのことだ。

大げさに言えば「アンネの日記」からナチス全体の悪行をイメージするのと同じである。

アンネ・フランクに対する「個人的体験でナチスがみんな悪いように書かないでください」という主張がバカ丸出しであることは誰でもわかる。

 そこまで大きな話にしなくても、いじめられた手記を書いた人間に対する「あなたの個人的経験で、学校がみんな悪いように書かないでください」という批判、痴漢冤罪にあった人の日記に対する「あなたの個人的体験で日本の警察がみんな悪いように書かないでください」、逆に痴漢にあった女性の事実告白に対する「あなたの個人的体験で男がみんな悪いように書かないでください」という批判、すべてはバカ丸出しである。

(もちろん、その書き手が体験談に続けて「だか日本の学校は全部悪い」「日本の警察は全部悪い」「日本の男は全部悪い」と書いたとしたら、その批判は真っ当ですけどね)


大阪市職員の話に戻します。



都庁の先輩たちに聞いた話では、美濃部都政時代には大阪のことを非難できないほど酷い実態があったらしい。でも、それらの悪習は鈴木都政時代に、ほとんど退治された。

さらに、行革パン屋こと後藤雄一氏が都議会議員に乗り込んできて、徹底的に地方公務員的悪習を暴いたので、その手の話はまず都庁からは出ないと信じている。



では、なぜ大阪や京都や奈良は、いつまでたってもこの手の話が次々と出るのか。
なぜ、保守系首長になっても改まらないのか。
なぜ、関西に後藤雄一タイプの政治家が生まれないのか。

それは、「自治体労働組合と人権団体と暴力組織ががっちりと人脈的につながっているからだ」というのが私の見立てである。

奈良県の談合事件や偽装牛肉問題で部落解放同盟系の人間が逮捕された。そのときに(いや、今となってはあの小泉時代だけ)彼らと暴力団の深いつながりが、メジャーメディアで報道された。



大阪市の横領問題も、決して個人の問題で終わらせないことを祈っている(管理職が実態をつかんでも怖くて口を出せない、なんて組織体質が絶対にあるはずだ)。


組織の問題を個人の責任に帰着させることは、個人の体験で全体を語ることの比ではなく
罪深いのである。