競争原理と成果主義だけでは大阪病理は直せない

大阪市長選挙は橋下圧勝の様相らしい。
(独裁が党是の共産党が「独裁阻止」と称して敵前逃亡したことがその証拠である)


これで、大阪府知事選挙も「維新の会」が推す松井一郎氏が勝てば、「維新の会」が多数派を占める大阪府議会では教育基本条例が可決されることは間違いないだろう。

私は本条例案について基本的に賛成だが、今出ている条例案のままではいくつかの点で地方教育行政法に抵触する可能性を否定できない。
したがって、選挙に勝った場合こそ「維新の会」は、大阪府の行政マン等の専門家と微修正について協議してほしいと思う。

問題は本条例案が通ってからだ。

これは、日本の保守層の「病理」なのだが、左派から与えられたヒール(悪者)イメージそのままに行動する人達が少なからず存在する。

「できんもんはできんままで結構」と言い放った三浦朱門氏や、国旗に尻を向けて教職員の起立チェックをした都教委のバカ役人などはその典型だろう(後者は、単に石原知事や保守系議員にゴマをすりたかっただけで本人が「保守」ではないが)。
だから、軽薄な政治家の中には「府民に支持されたのだから、教師も子どももとにかく競争させろ」と吠え出す人も出てくるかもしれない。



大阪の教育病理の根は深く、外部から校長や副校長をスカウトし、学力テストを実施し、その情報を公開したからといって、それだけで直るものではない。
教育基本条例制定という「政治」で解決できるのは、これらのことを行って「病巣を明らかにする」ところまでである。


病理との本当の戦い=教育関係者の悪戦苦闘は、病巣が明らかになってから始まるのだ。

そのためには、教育関係者(つまり大阪の教職員)の積極的な協力が欠かせない。
教職員組織は腐っているが、教員全員が腐っているわけではない。いや、全国のどの学校もそうだが、先生たちは少しでも子どもに優秀になってもらいたいと願い、日々奮闘しているかたが多数派である。

その多数派が「サイレントマジョリティ」であることが、教育界最大の病理なのだ。
(もちろん、その病理の深刻さと自治体内の左翼の強さは比例する)


教員=日教組=左翼=全員が敵
といった単純思考の保守派たちの教育改革がことごとく失敗するのは、
サイレントマジョリティ」を味方につけようという真摯な努力をしないからである。


橋下氏や維新の会が政治的に勝利したならば、どうかその点だけは留意してほしいと思う。

そのために不可欠な条例の修正点を一つだけ指摘しておく。

教員の相対評価(S=5%、A=20%、B=60%、C=20%、D=5%)の義務化
これは、絶対にやってはいけない。

例えば、府立高校で画期的に進学実績が上昇したのであれば、貢献した人全員にSやAをつけても何の問題もないはずだ。
逆に、教員全員が卒業式の国歌斉唱を拒否したら、私は全員にDをつけるべきだと思う。


まともな教育をやっても報われないのが今の学校現場であるならば、まともな教育をした先生たちが「報われた」と感じる学校に変えるのが教育改革のはずではないか。

教育基本条例を(微修正を施した上で)通すことには大賛成だが、それで問題が解決するほど学校教育の病理は浅くないことだけは指摘しておきたい。