「年長者を尊敬しろ」は無茶な注文だ

私は言論的には保守に位置づけられるので、講演などに行くと
「最近の若者が年長者を尊敬しなくなったのは教育のせいだ」的な言動をされる方から
質問を受けることがある。

まぁ、それもありますけどね。

ただ、借金だらけの国で「政治家」や「公務員」という職業が尊敬されないのと同様、

借金だらけの国で年長者を尊敬しろというのは無茶な注文ではないだろうか。


要するに、国を運営するために必要な経費を現役世代が払わずに、孫子にツケを残してきて
いよいよ苦しくなってきたのが現在の日本である。

その責任は第一に国家の方針を決定する「政治家」であり、第二には職業公務員にあるが、デモクラシー国家である限り最終的には有権者すべてにあると言わざるを得ない。

保守派が伝統を大切にするのは、伝統はその時々の多数決だけでなく、死者をも含めた多数決に乗っ取っているからだ。

ならば、その論理と同様に、この大赤字国家は戦後の死者をも含めた代々の有権者の選択の結果である。

そして、そのツケはより若い世代ほどより多く払わされる。

一般論として親を尊敬する子どもは立派だし、最近では「尊敬する人」の第1位は親のようだが、自分に借金を背負わせて飲み食いをしていた親を尊敬する子どもは少なかろう。

日本にあって、年長者を尊敬しろとはそれと同じではないか。

団塊の世代より上の方々ならそれでも「俺達は年長者を尊敬してきた」と言えるが、団塊の世代の新老人は、自分達はまったく上の世代への敬意を表してこなかった。

そんな人間が歳をとったからといって下の世代に自分への敬意を求めるのは、あまりに虫の良い話ではないか。

歳をとった時に尊敬してほしいなら、尊敬できるだけの個人を目指して精進するしかない。
それが今の日本に住む人間に最低限必要な覚悟である。