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日本橋大学の教員に対する同情とエール

赤沢氏から「日本橋大学」についてどう思うかについて質問を受けたので回答します。
正式名称は「日本橋学館大学」かと思います。

数ヶ月前にネットで話題になっていましたが、赤沢氏の書き込みから察するにテレビでも取り上げられたようです。

実は私も3月に出版予定の扶桑社の新書で匿名ながらこの大学を取り上げました。

この大学が話題になった理由は、学生の実情に沿ったシラバス(講義内容の大まかな計画)にあります。

学生に「アルファベットの読み方・書き方」「少数の計算方法」「句読点、表記符号の使い方」などを教えることを堂々とホームページで公開したのです。

これに対して「そんなレベルのことを大学で教える必要があるのか」「本当にあった『バカ田大学』」といった非難や批判が相次ぎました。

大学生がこのようなレベルのことを学ばなければならないのは由々しき問題です。

でも、その批判を受けるべきは日本橋学館大学ではなく、そのような大学生を生むわが国の教育制度ではないでしょうか。

戦前の小学校教諭は何故子ども達に必死で勉学を教えたか。
それは少なくない子どもが、小学校卒業時の学力で世の中を渡っていかなければならなかったからでしょう。

戦後、誰もが中学に上がれるようになり、小学校教諭は落ちこぼれをそのままにしておくことが(倫理的に)許されるようになりました。
次に「十五の春を泣かせるな」と必死になったのは中学教諭です。
日教組の政治運動として高校全入を主張する一方、やはり何とか子どもに授業内容を判らせようと取り組みました。
しかし、高校全入が実現したら中学教諭も落ちこぼれを放置することが倫理的に許されるようになります。
そして、今では希望さえすれば、そして大学さえ選ばなければ、「大学全入」の時代になりました。

この辺の事情は教育問題に関心のない人はご存知ないかもしれませんが、
低学力の高校生が、専門学校に行くか、短大に行くか、大学に行くかは完全に本人の意思によります。
学力的に 4年生大学 > 短大 > 専門学校
という図式は存在しないのです。

だから、今では子どもがどんなに落ちこぼれても、小学校教諭、中学校教諭、高校教諭は倫理的な責任を感じずにすむのです。
大学までは(もちろん短大も専門学校も)希望すれば誰でも行けるから。

そして、心ある大学関係者が、そのままで世の中に出すのは忍びないと思い、
恥を忍んで、その大学の現実のレベルを世間に知らしめ、
小中高レベルの復習を授業でやっている。

どこに非難される理由があるのでしょう。
(もちろん、そんなレベルの高卒生を入学させるなという批判はアリですが、その批判を日本橋学監大学だけにするのは妥当ではありません)

日々低学力と闘っている日本橋学館大学の教員諸氏には、同情とエールを送りたいと思います。

もちろん、私は低学力大学生を放置すべしとは思っていません。
それへの処方箋は次の新書に書いたので、3月予定の出版をお待ちください。