大切なのは思考順序

 新潮新書から『いじめの構造』という本を出版したおかげで、いじめに関するシンポジウムに招かれることがあります。そういった席で、私が必ず話すことは「いじめ問題」を議論する際の順序です。

 校内でいじめが発生した場合には、「被害者の保護」「加害者の処罰」「被害者および加害者のメンタルケア」「再発防止」など多くの課題が同時に発生します。
 しかし、発生は同時でも、課題に取り組むに当たっては優先順序が存在するはずです。
このことは、学校外の社会で犯罪や人権侵害事件が起こったと想起すれば直ちに理解できるでしょう。


 何よりも優先すべきは「被害者の保護」です。


 深刻ないじめの場合、保健室登校を認める、さらには加害者(状況によっては被害者)への授業を別教室で行う、加害者を出席停止にするといった措置が必要かどうかを早急に判断しなければなりません。


 「加害者の処罰」がこれに続き(ちなみに「加害者の出席停止」は被害者保護のためのものであり処罰ではありません。)、「被害者および加害者のメンタルケア」「再発防止」の順で対策を考えるのが一般社会の思考順序です。


 ところが犯罪性の強い人権侵害事件でも学校で起こったというだけで「いじめ」という名が付され、「加害者も心の傷を抱えている」とか「起きてしまったことは仕方ない。問題はこれからどうするかだ」といった話をいきなりする人が出てきて、議論の収捨がつかなくなることがあります。


 保護者はどうしてもわが子がかわいいし、担任の先生や校長は、加害者の出席停止や「加害者の処罰」という重い課題を避けたい。ということで議論は、どうしても「被害者および加害者のメンタルケア」や「再発防止」だけに流れ勝ちです。


 このような学校特有の議論の混沌から脱却するためには議論の整理役が不可欠なのです。
 それをするのは誰か。


 実は参加者なら誰でもできます。


 これは学校の先生たちの美徳だと思うのですが、彼らは(少なくとも役人と比較すればはるかに)、議論するときには話者よりも内容に重きをおきます。つまり、言うことがまともなら、誰であれ聞く耳を持っているのです(国旗国歌が絡むと思考そのものがまともでなくなる人が多いのでダメですけど)。

 ですから、何かの機会で「いじめ対策」を話し合う時には、是非、その場のオピニオンリーダーとなり、議論を整理してくださいませ。