脱原発支持だけど再稼動賛成という意見の行き場所

原発デモが益々盛り上がっているらしい。

あくまで私の周りの意見に限定してだが、再稼動反対という人は確かに多い。しかし、言わせていただくならば、普段政治の話なんてしない、それこそ選挙も行かないような人ほど再稼動反対派が多いようだ。

大雑把過ぎるというお叱りを覚悟の上で、各主張をする人々のステレオタイプを書くならば、

再稼動反対(A):フリーター、アーティスト、専業主婦、元左翼の無職老人

長期的には脱原発だが今回の再稼動は賛成(B):現役ビジネスマン、組合活動ではなくちゃんと仕事をしている公務員、中小や零細の企業主

原発政策の現状維持(C):電力関係者、保守系言論人、防衛問題がらみでの原発政策を支持する人々

と分類できそうだ。

私は、この件についてはB派であり、実感としてはマジョリティだと思っているのだが、どうも主張に迫力がないためか、テレビはもちろんインターネットメディアでさえもA派vsC派のような取り上げ方が多いのが気になる。


サイレントマジョリティは「声を上げない」だけでなく、主張が穏健なためにメディアで取り上げても面白くないからサイレントマジョリティなのだろうか。


原発の価値は、
1 「潜在的核保有」という防衛上の価値
2 「化石燃料依存からの脱却」というエネルギー安全保障上の価値
3 安価かつ安定的な電力供給という経済上の価値
の3点である。

仮想敵国の核は認めるけど自国や同盟国の核は否定するような「ど左翼」は放っておいて、1はゴマカシの議論から脱却する時期が来ていると私は思っている。
2については、反原発派も再生可能エネルギー派が多数派なので、目標は大きくは違わない。再生可能エネルギーの現段階での技術力、発電量やコストをどう捉えるかの違いだろう。
問題は3である。つまり、全原発の即時停止のような急激な転換は経済的リスクが高すぎるからエネルギー転換は徐々にやろうと考えるか、そんなこと言ったって明日地震津波が来たらどうするの、お金の問題じゃないでしょという不安がせめぎあっているのだろう。


だから、一生食うに困らない有名芸能人がデモに参加するのは、彼らのエゴイズムと適合する。問題は経済的弱者の人達だ。俺たちはどの道貧乏なんだから失うものなんてないさとタカをくくっているとしたら、経済に対する想像力がなさすぎだと思う(誤解のないようにしつこく書きますが、私は今回のデモそのものは「あり」だと思っています。暴力的でも組織的でもないしね)。


などと書くと、今度はC派の方から「経済に対する想像力のない」のはお前だ、とお叱りを受けそうだが、1970年代も第一次オイルショックで打撃を受けた日本が、第二次オイルショックはいち早く乗り切った。それは省エネ圧力が最も高かったが故に省エネ技術が最も進んだからである。
今回のエネルギー危機も同様に長期的にはわが国にとってチャンスだと思っている。


※ 余談ですが、最近私のブログに書き込みをしてくださる方の質が高くて嬉しく思っています(もちろん例外はありますが)。「ブロゴス」ができたおかげで、汚い言葉でフラストレーションを解消するタイプの人はそちらに行ったからでしょうか。
だとしたら「ブロゴス」に感謝しなくちゃいけませんね。