「科学」と「信仰」と「神秘主義」、この深遠な関係に挑む  『ダ・ヴィンチの謎、ニュートンの奇跡』(詳伝社新書)  三田 雅広

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 無邪気に「科学的結論」を信じることが如何に愚かしいかについては枚挙に暇がない。例えば、精神医療の世界では1935年に「ロボトミー手術」という前頭葉の一部を切除する手術が当時の「科学」の最先端だった。この手術をご存知の方は、統合失調症の治療と思っているかも知れないが、当初は「うつ病」を治す画期的な手術として受け入れられたのである。その後、これが単なる人格破壊に過ぎない判り日本で行われなくなったのは、なんと40年後の1975年である。血友病患者へのエイズ蔓延も、当時の「科学」が引き起こした。「科学」概念をさらに広げれば、ナチスのユダヤ人虐殺を正当化したのも第一次世界大戦後の「社会ダーウィニズム」という「科学(少なくともこの論者はそう思っていた)」だし、20世紀を通じて最も多くの人々を殺戮した共産主義思想は今でも「科学的社会主義」を自称している。

 本書は、この「科学」なるものが、カトリックが支配するヨーロッパから如何にして生まれたかを解き明かす書である。今でこそ「科学」の側の人達は神秘主義=オカルティズムを「反科学」の代表のように扱うが、中性ヨーロッパではローマカトリックという「宗教」に対し、「科学」と「神秘主義」がスクラムを組んで対抗していた。

 カトリック世界では神父の言うことこそが真実だ。これに対して「聖書」に真実を求めたのがプロテスタントであり、秘密裏に行う思考、実験、自然観察により真実を解き明かそうとしたのがグノーシスという名の神秘主義者=科学者だったのである。彼らの究極的目標は「神が創った真実を解き明かす」ことであり、反カトリックにならざるを得ない。ダ・ヴィンチの偉業もニュートンの功績も、その文脈で再検証すると腑に落ちる。

 フィナボッチ数列や黄金比ピタゴラスの定理など初歩的な数学の話も出てくるが、決して難解ではない。

私の唯一の不満は、科学が宗教や神秘主義と決裂し、ついには思想界の頂点に君臨するまでを描いているが、その後の揺らぎを書いていない点だ。宇宙の法則を全て解き明かしたかに思えたニュートン物理学は、アインシュタインの登場により「真実」ではないことが判った。さらに今では「暗黒物質」や「暗黒エネルギー」というSF界やオカルト界の専門用語=概念が高校教科書に記載され、人類は宇宙法則をほとんど解明できていないと教える。

そこを書かない著者は、私同様、「科学万能時代」の古い人間なのだろう。