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憲法改正の落としどころ

戦後70年を経てようやく日本国憲法を変えられる可能性が出てきました。

 私は、安倍政権の間に何としても憲法を改正すべきだと考えていますが、その理由と改正の落としどころを考えてみたいと思います。

日本国憲法改正が必要な理由

1 憲法が議会制民主主義の正常な機能を阻んでいる
 朝日新聞共産党民進党の人達が言うように立憲主義とは憲法によって権力を制約する考え方です(ここまでは彼らは正しい)。では、その権力の源はどこにあるのでしょう。もちろん、日本は民主主義国家ですから私たち国民です。つまり、民主主義国家における憲法とは民主主義の暴走を抑えるためにあるのです(ここまで言わないから彼らは嘘つきなのです)。
 民主的な手続きによる結論が常に正しいとは限りません。ですから、ある時点の議会内多数派によって決められる法律よりも、憲法を上位に置き、さらに憲法の改正手続きを困難にしておいて、民主主義の暴走により変な法律が生まれないようにしておくのです(これを「硬性憲法」といいます)。民主主義システムを採用する先進国は大抵、このような硬性憲法を有しています。
 それでも日本以外の先進国では時々世の中の情勢に合わせて憲法を変更しています。それは、その国にとって丁度良い「硬さ=変更のしにくさ」だからです。それに対して日本国憲法は「硬すぎる=変更しづらすぎる」のです
 ご存知のように日本国憲法GHQが作ったものです。しかし、彼らは日本国憲法がこれほど硬くなるとは思いませんでした。何故か?彼らの母国は完全小選挙区制でかつ2大政党制です。そのうえ党議拘束もありません。ですから、世論が傾けば2/3の議員が発議することなど容易いのです(実際アメリカも両院の2/3の賛成で発議をします)。
 ところが、日本は当時、中選挙区制を採用しており、そのうえ各政党は党議拘束をかけるので、各議員は自由な投票行動を取れません。その結果、1/3の議員が反対し続けるだけで、国民に憲法の正しさを判断する機会さえ与えられないという、非民主的な事態が生じてしまったのです。
 言うまでもなく憲法は国民のものです。ヨーロッパに近い選挙制度を続けるならヨーロッパ程度の固さ(フランス:両院の過半数+国民投票又は両院合同会議で3/5、スペイン:両院の6割、デンマーク:選挙前後で2回の多数決)にすべきです。日本と同程度の硬さなのは同じ敗戦国のドイツだけですが、その代わりにドイツは「戦う民主主義」という政策を取っており、日本共産党などは非合法政党になります。そして実際50回以上改正をしています。
 ですから、まずは改正手続き条項を改正して、せめて「両院の3/5で発議できる」ようにしないと、議会制民主主義(討論と妥協と多数決)が機能しないのです。1/3を守るためだけに「誹謗中傷」と「罵り合い」をし、最後は「強行採決」できまるというレベルの低い民主主義を脱却するために、憲法を国民の手に取り戻しましょう。

2 変化する国際情勢に対処できない
 憲法9条は第1項で侵略戦争を否定し、第2項でそのための「戦力の不保持」を規定しています。それなのに何故、自衛隊を持つことが可能なのかと言いますと、内閣法制局は「自衛隊は最低限の実力であって戦力ではない」という解釈をしているからです。この解釈は設立当初の弱小な自衛隊の時には通用したでしょうが、武器によっては世界有数の能力を持つ現在の自衛隊には通用しません。
9条第2項は「前項の目的を達するため」という文言が入っています。これは芦田均という人がGHQの目を盗み、将来の日本が独立した時のために入れた文言です(芦田修正といいます)。もちろん、その意図は「侵略戦争のための戦力は持たないが、自衛のための戦力は持つ」と言うためです。内閣法制局は、先人の努力に敬意を表し、早急に芦田氏の意図通りに解釈を改めるべきです。この解釈によって自衛隊はあらゆる武器(例:巡行ミサイル)を保有することが可能になり、単独で大きな抑止力を持てます。ここまでは憲法変更の必要はありません。
最後に残る問題は、第2項の最終文。「国の交戦権は、これを認めない」です。これだけは、どうしても削除する必要があります。なぜなら、この条文のせいで日本の自衛官は「正当防衛」でしか、敵国軍を攻撃することができないからです。今、中国が実際に領海や領空を頻繁に侵しています。本来ならば、そういう場合は警告して、それでも引かない時には、攻撃を加えなければなりません。
これで戦争が起きるような事は通常ありません。フィリピンのような弱小国でも中国船を沈めていますし、トルコでさえロシア機を撃墜しています。ところが、日本の自衛隊だけは相手が撃たないかぎり、領空領海を侵されても何もできないのです。それでも今までは、警告をすれば中国軍は引いていましたが、近年は逆に攻撃を仕掛けてくるようになりました(背後に回る、ロックオンする等)。私たちは、自国内で自衛官の手足を縛り、その命を盾にして、偽りの平和を守っているのです(実際は漁業権を侵され、拉致されているので平和ではないのですが)。また、北朝鮮核兵器を日本に撃ちそうだとしても、実際に撃つまで迎撃できません。
この状態を是正するためには第2項の最終文だけは削除する必要があります。

3 新しい人権に対処できない
 憲法が制定されて以降、環境権やプライバシー権、情報アクセス権など様々な人権が提起されてきましたが、日本国憲法には一文もそれらを保障する文言がありません。生存権(25条)や幸福追求権(13条)を援用して、これらを認める見解もありますが、そろそろ限界です。とりわけ情報アクセス権は、第4の権力とも言うべきマスメディアとの関係で、広く国民に認められるべき権利です。記者クラブという特権的な場所で、役人にサマリーを造ってもらって情報を垂れ流す。日本のメディアは、第二次世界大戦当時の大本営発表を垂れ流した新聞から、ほとんど進化していません。違うのは自民党政権の時には反体制ポーズをとるところだけです(政権がもっと独裁的な政権になれば、きっとそのポーズさえ取らなくなるでしょう)。
 こういうメディアしか持たない不幸を是正するために、国民が公権力にマスコミ同様、アクセスできる権利を憲法上保障する必要があります。現在も情報公開法や情報公開条例が存在しますが、それに携わっていた者として断言できるのは、役所の都合で情報などいくらでも隠せるという事です。それに一矢報いる武器になるのが憲法への追加だと思っています。

 以上、改正条項の改正、9条2項の一部削除、新しい権利(特に情報アクセス権)の新設。とりあえずは、この3つだけでも十分ではないでしょうか。
 国民に憲法改正も含めた民主主義を取り戻し、自衛隊による最低限の国土防衛を可能にし、21世紀にふさわしい人権を書き込む。
 極左の方々を除き、保守派もリベラル派もそれなりに納得でき、それなりに不満が残る内容だとは思います。でも民主主義社会の結論とはそういうものであり、その気持ち悪さに耐えることが成熟した民主主義を生むのだと思っています。