スクールカーストが従来から存在した「クラス内ステイタス」と同じか異なるか。
つまり、スクールカーストとは
1 現在の中高生が「クラス内ステイタス」に付けた呼び名である
のか
2 現在の中学生に起こっている新しい現象である
のかが定まっていません。
私は、どちらかというと後者に説得力を感じます。
それは以下のような理由です。
1 スクールカーストではコミュニケーション能力が大きなウエイトを占めている。
※ ちなみに、私=森口は、極端な平等主義によってどんな能力もリスペクトされなくなった結果が「スクールカーストの誕生」であると捉えています。
2 「モテ」「非モテ」との相関性が極端に高い(と言われている)
※ ステイタスが高いからモテるという現象はどんな社会にもありますが、モテるとステイタスが上がるという傾向も「スクールカースト」にはあるようです。これは一般社会にはそれほど見られない現象です(ホストやホステスなら別でしょうけど)。
3 オタク=最下層という暗黙の了解がある
※ かつての(明確な年代は不明)小学校などでは「電車」や「漫画」に詳しいことが、ある種のステイタスを生んだのですが…。
と、ここまで書いて思ったのですが、スクールカースト現象は中高生よりも大学生の方がより顕著なのではないでしょうか。
特に1と2は我々の時代からあった気がします。
大学って喧嘩が強くても(当たり前か)、勉強ができても(優の数が多くても)、スポーツができても(クラスで一番野球が上手いとか、50メートル走が早いとか)ほとんどリスペクトされません。
そんなことより、楽しくクラスのメンバーをまとめることができ(コミュニケーション能力に優れ)、合コン相手をバンバン見つけてくる(「モテ系である」)ことが、大学内のステイタスを決定付けたのではないでしょうか。
ただ、大学の場合それが「いじめ」につながらない。だから問題にならなかった(それゆえ、「スクールカースト」という認識さえ無かった)。
しかし、中高生は大学よりもはるかに閉鎖的な空間で生きているために、スクールカーストが「いじめ」に直結する。
いずれにしても、識者が「スクールカースト」を無視して「いじめ」を語っても、問題の本質にたどり着けず、対策(特に予防策)もいつまでたってもトンチンカンなのではないかと危惧しています。
『いじめの構造』がきっかけになって、世の識者がもう少し現実を真正面から見つめる風潮ができればよいのですが。