1 明治武士道もまた武士道である。
2 今後、学校で教えられるであろう平成武士道も同様である。
「その1」から「その4」まで『武士道の逆襲』という有力な反対論をベースに論じてきたのは、上記の2点を導き出すためです。
その根拠は、
1 もともと武士階級の倫理規範だった「もののふの在り様」(リアリズムとエゴイズムの結合倫理)が、江戸時代に内容的変貌(正統派=林朱子学系「士道」、多数派=山鹿素行系「忠臣蔵武士道」)をとげた。
※ ちなみに『武士道の逆襲』で盛んに本来の武士道として引用される「葉隠れ」も江戸時代に書かれたものです。著者である山本常朝は林羅山や山鹿素行よりも後に生まれた人(肥後藩士)で、江戸時代の武士道の変容が我慢ならず「本来そんなものは武士道じゃない。これが武士道だ」といって書いたのが「葉隠れ」です。戦国時代に盛んだった衆道(武将同士のホモセックス)の心得もしっかり書かれていて、原点回帰派「武士道」と言えるでしょう。
2 内容的変貌をとげた「士道」「忠臣蔵武士道」は、庶民にも理解され受容されていた(ある意味、国民道徳と化していた)。※この段階で「国民」はいませんが。
3 さらに武士以上に武士道精神を発揮する階層(新撰組や奇兵隊など)も幕末には登場していた。
4 2,3の背景があってこそ「軍人勅諭」は、すぐに明治軍人の倫理規範足りえた。
※ 軍人勅諭は「武士道の忠誠の対象である『藩主=私的主人』を、天皇と国家に置き換えたもの」というのが菅野氏の主張です。
これをプラス評価するか(森口)、マイナス評価するか(菅野氏)はともかく、その捉え方には全面的に賛同します。
5 江戸時代に武士道は有事の倫理規範であるだけでなく、平時の倫理規範も併せ持つ性質のものに変貌している。
それゆえ、武人と関係のないことをもって新渡戸武士道が武士道ではないという主張は根拠を失う。
今回は、内容的変貌があっても思想的同一性は失われない例を武士道以外から挙げてみましょう。
例えば、葬式の時など、日本の坊主の多くは「人が死んだら49日の法要を経て仏様になる」と神妙な顔で言います。
こんなもの、もし釈迦が聞き、それが「仏教である」と知ったら腰を抜かすでしょう。
免罪符を売っていた集団が、未だ潰れることなくキリスト教の正統派(カソリックの意味です)を名乗っていると知ったら、キリストは人類を滅ぼすために、また復活するかもしれません。
点(思想の源流)と点(現代)で比較し、大きく変貌していることを持って、
「何の関係もない」と切り捨てることが可能ならば、
世に流布されている、ほとんどの思想は「羊頭狗肉」と断罪されるでしょう。
※ ただし、私(森口)は菅野氏のごとき原点回帰的主張を否定しているわけではありません。むしろ好きです。
学校で「死ぬほど恥ずかしい目にあわされたら、死に物狂いで相手を殺しにいけ。常在戦場だ。」なんてリアル武士道を教えたら、次元の低いイジメはなくなるでしょうね。ただし、今の日本社会の平穏は吹き飛ぶでしょうけど。
①歴史的連続性と②現代人の主観的態度、この二つにより思想的同一性は保たれる。
明治武士道と中世武士道には歴史的連続性が認められ、主張している本人もそれを「武士道」と認識していた。それゆえ、明治武士道もまた武士道である。
というのが「その1」から「その5」までの考察の結論です。
(おまけ)
ちなみに新渡戸稲造の祖父は藩主への換言が理由で配流、父親も切腹しています。
新渡戸自身も本当に腹の座った人で、軍国主義へと走る昭和初期に
「日本を滅ぼすのは共産党と軍閥だ」と発言し、世間から猛烈なパージを受けました。
対して菅野氏が本来の武士道と考える「葉隠れ」の著者:山本常朝は「追い腹:藩主の後を追っての切腹」が禁止されたので、自分を取り立ててくれた藩主が亡くなった後は、腹を切らずに出家して一生をまっとうしています。「武士道とは死ぬことと見つけた」のなら禁を破って山本は腹を切るべきではなかったと言ったら彼に酷でしょうか。
新渡戸と山本。本物の武士は新渡戸ではないか、という感情論を私は持っています。
次回は、明治武士道や平成武士道もまた「武士道」である、ということを前提に
それを学校道徳に導入する是非へと論を進めます。