私はとっても不遜な人間なので、常に「人皆我師」ということを心がけています。
世の中には色々な人がいます。
優秀な人間もそうでない人間も。
もし優秀な人からしか学べないとなると、世の中で一番優秀な人間は、誰からも学べなくなってしまいます。
教育言論の分野で言えば、
受験勉強がメンタルヘルスに与える影響を語れば和田秀樹氏が第一人者です。
教職員組合がわが国の学校教育に与えた悪影響を論じれば八木秀次氏の右に出る人はいないでしょう。
学力と経済力の相関を学術的に分析する力なら苅谷氏が最高峰だし、
いじめ加害者の心理分析では現在、内藤朝雄氏が他の論者を大きく引き離しています。
しかしながら、
小学校受験から大学経営事情に至るまで、学校及びその周辺に起きている事情に精通した上で総合的に分析する力ならば、
わが国で森口朗にかなう人物はいないと思っています。
ことほどさように、本を書く人間は不遜なのです。
そして、だからこそ「人皆我師」と思って他人に接しなければ、とんでもない馬鹿者になってしまいます。
(実際、小説家や評論家でも長老には、結構この手の馬鹿者と推測できる人がいます)
そんなことを改めて感じた事例を一つ紹介しておきます。
ここ数日、ずっと京都で勉強しているのですが、先日、とても有意義な午後を過ごすことができました。
大学経営が厳しくなり、有名私立大学がなりふりかまわずスポーツ選手を入学させるようになりました。
そのあおりをうけて、無名大学にスポーツで入ってくる学生は、将来、とてもスポーツで食っていけないレベルの選手ばかりになっています。
そこで、これらの学生をどうサポートして一般社会人として世に送り出すかが問題となってきます。
そこに焦点を当てて無名大学の生き残り戦略を考えるという、極めてホットな研究にとりかかろうとする人がいました。
研究者という意味では、ほとんどが初学者ばかりの発表会のはずでしたが、
それ以外の方々の発表も、そのほとんどが示唆に富んでいました。
多くの人との出会いから、貪欲に物事を吸収しようと改めて思った次第でした。