文章とは覚悟である

書物のような一方通行の文章で自分の想いを伝えることは難しい。

読者の感性に訴えると感性の合わない人には理解されない。
『戦後民主教育で失われたもの』(新潮新書)がそうだった。

読者の知性に訴えると知性の低い人には見向きもされない。
『いじめの構造』(新潮新書)がそうだった。

それでも覚悟を決めて書くのが文章の醍醐味である。


その点、少数に人間相手のフェイスtoフェイスでのコミュニケーションは簡単で、たいした覚悟を必要としない。
相手の様子を探りながら、自分の意図が伝わったかどうかを確認できる。

最近、他人と何気ない会話をすることが無性に楽しい。


しかし、充実感という点ではやはり文章にはかなわない。


いつものことながらメジャーメディアでのチベット問題の扱われ方が酷い。

多くのマスコミ人や物書きたちが普段何の覚悟もなしに映像を造り文章を書いているかがよくわかる。