草なぎ事件のコメントに見る「保守派」の不在

草なぎ容疑者が犯した「公然わいせつ」事件については、予想どおりTV局やそこに巣食っている芸者や幇間(男芸者)たちの対ジャニーズこびへつらい合戦が繰り広げられている。


そんなことは、私も織込み済みなのでまったく驚かないが、意外だったのは芸能事務所などに媚びる必要のない人々、しかも普段から私が高く評価している人たちも、ほとんど草なぎ容疑者を非難していないことである。


彼は確かに「公然わいせつ罪」で捕まったが、誰を傷つけた訳でもないし、被害者もいないのだから…。

というのが一般の反応であり、保守系に分類される識者の多くも同様の反応を示している。


日本社会の左翼洗脳は私が想像していた以上に広く深くいきわたっているようで戦りつを覚える


「公然わいせつ罪」のような「被害者なき犯罪」に対し、どのようなスタンスをとるかは、保守とリベラルを分かつメルクマールである。

 リベラリストの考え方からすれば、誰の人権も侵していない行為を犯罪とすべきではない。
 被害者の不在を根拠に犯罪から除くべきだとリベラリストが主張する行為は、ヘアヌード写真の販売、マリファナ吸引、ギャンブル、買春など多岐にわたる。


 このリベラリストの主張に対し、「モラル」や「平穏な社会」もまた人権同様に保護法益になりうると考えるのが保守の立場である。

 長らく学会やマスメディアが左翼に支配されていた日本では、非左翼はすべて保守に分類されている。
 リベラリストも保守派も右翼も、左翼を否定するだけで保守っぽく見えてしまうのが、まさしく我が国の「異常さ」である。


 そのことを今回の事件に対する(まともな)識者たちのコメントで改めて思いしった。