ふるさとは遠くにありて想うもの

私は、高校三年まで大阪で過ごしたが、いい思い出がほとんどない。

内面は大人として恥ずかしいほどに成長していないのだが、外部環境が東京に住む今とは全く異なっていたし、対応能力だけは成長したのだろう。


 先日、中学校のミニ同窓会(関東在住)があり、忌まわしい大阪時代の記憶が蘇ってきた。


 5月1日はメーデーに参加して反体制の気取りながら、連日私に体罰という名の暴力をふるい続けた教師達(そのくせ、彼らは本物の不良や在日や部落の子弟に手を上げることは決してなかった)

 変人の上に劣等生だったことから生じるクラスでの居心地の悪さ

 酒びたりの癖に説教好きだった共産主義かぶれの父

 家も学校も嫌いだった。いつも大阪から抜け出すことを考えていた。



 交通ルールを守らない自動車

 電車の中で、大声でしゃべる人たち

 ヤクザか堅気かわからない恰好をした人々が闊歩する繁華街

 それが当たり前でないことを 大阪をはなれてから知った。
 

 地元の友人から聞いた話では、300人に満たない中学の同級生の中に失踪者が最低3人いる。刑務所に入った者が2人はいる。ヤクザになった者が何人かいる。


 驚くべきはその中学校が地元では有名高校への進学率が高くて有名な中学校だったことだ。

 そして、地元に残った友人達は口をそろえて言う。

「最近は、昔と違って〇〇中学もレベルが落ちてるらしいで。不良も多くなったしな。」