成功した友とも、そうでなかった友とも付き合える喜び

今年の誕生日で50歳になる。

ほとんどの勤め人は、出世レースの先頭グループから離れてしまう年頃だ。

昨年、中学・大学と立て続けに同窓会があったが、やはり一番羽振りが良いのは開業医、弁護士などである。

私のような「見事なまでに出世しなかった勤め人」兼「三流物書き」は座持ちが良いのだろうか。
中学の同窓会では開業歯科医の友人に行きつけのすし屋でご馳走になり、大学の同窓会では弁護士の友人に銀座のクラブで遊ばせてもらった。

もちろん二人とも学生時代から仲が良かったが、他の友人ではなく私だけを誘い奢ってくれたのは、私が素直に旧友の成功や出世を喜べるからだろう。

二人で飲もうよと誘ってくれるのは成功した友だけでない。

心身の事情で完全に出世競争からリタイアした友も私を誘ってくれる。30才で既に競争から脱落していた私になら、恥じることなく自分が競争から離脱した経緯を話しやすいようだ。


思い返せば、幼い頃からずっと落ちこぼれの変り種というポジションだった。
しかし、このポジションが中高年になったときに、これほど「おいしい」とは思わなかった。