善意の需給

あらゆるものは需給関係の中で動く。善意さえも。


未曾有の大震災の中、チープな善意の供給者が過剰になった。
都内の避難所に、古着や手作りの食べ物を押し付けてくる人が未だに存在する。


ここぞとばかりに避難所に訪問して、元気に歌っているおばさんコーラスグループがテレビに写っていた(もちろん、聞いている人よりも歌っている人の方がはるかに大勢だった)。

そして、彼らは断られると怒り出す。
善意がチープであるが故に「あなたの善意は不要です」と言われるとプライドが傷つくのだろう。


一方で、東北地方(特に福島県)まで自腹で物資を届けようというディープな善意は、足りないようだ(もちろん交通規制により供給制限されているという側面はあるだろうが)。
震災後3週間が経つのに未だに物資に不足する避難所があるというのは驚きである。

ニート系ボランティアもそうだが、おばさん系ボランティアも熱しやすく冷めやすい。

だが、おそらくは彼女たちが必要とされるのは、避難所生活が長くなり、そこにいる人々が心の平穏を取り戻してからだろう。

その時、チープな善意の需給関係が逆転しないでいることを祈る。
※チープだって長続きすれば総量は大したものです。私が軽蔑するのは、チープでかつ瞬間的、そして押し売りする人だけです。



ちなみに、どの段階でも邪魔にならない善意は「お金」である(チープで瞬間的でも)。
避難所に善意を売りにいくくらいなら、募金するかチャリティ○○に勤しもう。

ただし、日本ユニセフのように火事場泥棒ならぬ、「震災募金詐欺」を働くところも少なくないのでご用心を。