反原発も原発推進も

現在、原発問題をどう考えるかは、その人の思考方法や思考力、スタンスを見る最も有効なリトマス試験紙です。

シンプルな原発反対派は、国難にあってわが世の春を謳歌しています。
「だから、言っただろう。原発は危険だって」

実はこの中にも二種類あって、多数派は、何かわからないけどなんとなく「原発は危険だから嫌」と思っていて、今回の事故をきっかけにその思いを強くした人達(普段、政治に興味のない方に多いです)。
私はこの手の人達を「軽薄系反原発派」と名づけております。

次に「週刊金曜日」系の人達。原発を巡る議論は「本当は核兵器を持ちたい保守」VS「共産主義国の代理人としてなんとしても日本に核技術を持たせたくない左翼」の代理戦争ならぬ代理議論だったの周知の事実です。
ですから、拉致問題以降息絶え絶えだった左翼は、ここぞとばかりに原発も含めて、日本の核技術の弱体化を狙って、世論を煽っています。
この方々を名づけるなら「火事場泥棒系反原発派」でしょうか。


次に、金のためなら郷土など、どうなってもかまわないという「左翼全盛時代の自称保守」の人達。まぁ、流れ的には自民党田中派の流れを汲む人達に多いんでしょうね。
未だに「原発は絶対安全なら必要」とか言っています(すべての技術は絶対ではありません)。いわゆる「金の亡者系原発推進派」であります。

ここまでは単純ですね。


次に、今までは「原発はちょっと反対」というスタンスだったのに、事故が起きたら急に「安全」を主張しはじめた人達。マスコミの多数派です。
家が破産しかけたら急に働き出した引きこもり系ニートのようです。
今までの「反権力スタンス」が、いかにポーズだったかがよくわかります。
「金の亡者がばれちゃった系原発容認派」なんて名前がぴったりです。


もちろん、日本人はそんな人ばかりではありません。素晴らしい人だっています。
まずは何と言っても、本日(4月30日)付で内閣官房参与を辞任した小佐古敏荘東大大学院教授でしょう。
前のブログに書いたように、私は「子どもに20ミリシーベルトの被爆を容認する」ことに反対です。私のような門外漢でも判るリスクを説明せずに、子どもに負わせる今の政府は犯罪的です。

次に、今まで「原発に関心がなかった」ことをカミングアウトした上で、「代替エネルギー」の推進のために私財を投じる孫正義氏も「ウラに利権がない」なら、素晴らしい態度だと思います。

両氏に共通することは、単純な「原発反対派」でも「原発推進派」でもないという点です。

で、私=森口はこの問題をどう考えるかでありますが、


1 まず、原発問題を核兵器代理議論から分離するべきです
 つまり、今こそ核兵器を持つかどうかの議論を冷静にする必要があるのです。
 それを日本人ができないなら、今までどおり為政者は国民を「原発は絶対安全です」と騙してでも核技術維持のために原発を持つべきです(でも、私は団塊世代より下の人達ならできると信じています)。
 よって、私は日本人の民度がその程度な場合に限り、原発推進派です。
 理由は、「デモクラシーシステムの維持」と「国防」を両立させるためには、その方法しか思いつかないからです。


2 次に、キチンと「核兵器を持つ」あるいは、私には思いつきませんが「核兵器は○○の理由で持たないが、中国や北朝鮮等の核を保有する仮想敵国に対し、どのように防衛するか」という議論が日本国内でまともにできたなら、原発は純粋にエネルギー問題として議論すべきです。

3 純粋なエネルギー問題として原発を考えるならば、原発は現状を維持しつつ、耐用年数を過ぎた物から廃炉にするというのが、最も穏当な考え方でしょう。
 当面現状を維持する理由は、エネルギー不安を抱えたまま経済復興はできないからです。
 耐用年数を過ぎた原発廃炉にすべき理由は、原発の「リスク&ベネフット」の中に、国際的風評被害というリスクまで含まれていなかったと考えるからです。
 福島原発のせいで、強みだった日本の工業製品も、生まれ変わる可能性のあった日本の農業も、クールジャパンで売っていた文化戦略もすべて打撃を受けました。
 ここまでのリスクを予見して、それでもまだ原発が他の発電よりも「経済合理性が高い」とは私は思えないのです。