「一億総懺悔の国」から60数年進歩せず

先の大戦において日本は敗れました。
その時に流行ったのが「一億総懺悔」という言葉です。

誰の責任も追及せず、何が悪かったのかを真剣に議論せず、すべての不都合をムードで押し流し、思考を停止したのです。

その後、GHQ影響下の東京裁判により「一部の軍人だけが悪かった」ということになりました。
私は東京裁判を支持するものではまったくありません。戦勝国が敗戦国の軍人を裁判の名の下で裁くなど、本来あってはならないことです(東京裁判については書きたいことが山のようにあるので省略)。

ただ、それでも「一億総懺悔」よりは、多少なりとも責任ということに向き合っただけでもマシだろうとは思っているのです。


さて、あれから60数年の歳月が流れ、「戦後の敗戦」とも言われる大震災が起き、その後に福島原発がレベル7の事故発生に見舞われるという「人災」が起きました。
東電は、役員報酬のカットや人件費の削減、リストラだけで対応しようとしています。


こんなことを、決して許してはなりません。
実はこれは誰の、何の責任も問わないのに等しいからです。
東電役員の報酬カット、職員の給与カット、リストラ」は責任を取ったことにならないのか、という反論がありそうですが、もちろん責任を取ったことになりません。


何故か。それは東電が責任を負うべき被害総額が、まだ何も明らかになっていないからです。
その前に「襟を正す姿勢を見せる」ためだけに行ったと考えるべきでしょう。
交通事故の加害者が、被害者の被った被害見積もりが出る前に「とりあえず頭を丸めておく」のと同程度の話です。
東電職員給与は、カット後も上場企業の平均値とさほど変わらない水準ですし、リストラは新人採用延期と希望退職で行うので、ほとんど誰も痛みらしい痛みを感じません。


では、正しい責任とは誰がどうとるのか。こんな当たり前のことさえメディアは伝えません。

まず、企業が不祥事を起こした際の経済的責任は、本来すべて企業が負うべきです。

ですから、これからすべきことは
1 東電が負うべき被害総額を明確にする。
2 東電の資産から可能な限り賠償する。
  おそらく、この段階で東電という会社は債務超過に陥ります。しかし、資産売却による全損害の賠償こそが企業として東電が責任を果たしたということなのです。
3 東電会社更生法等を適用する。
4 100%の減資を行う(東電株が紙くずになります。これで株主責任が果たされます)
5 債権者の債権を100%放棄させる(東電への貸付がパーになります。これで、銀行の貸手責任が果たされます)
6 一連の過程の途中で役員が解任される(これで、役員の経営責任が果たされます)

最低限やるべきことは以上です。
これでとりあえず、「企業」「株主」「債権者」「役員」は通常の責任を果たしたことになるのです。

次に、ここまで大きな事件の場合、アブノーマルな責任追及が発生します。

それは
1 経済的責任追及の延長戦として「役員」に背任がなかったかを追求します。もし背任的行為があったのなら、彼らの個人資産からも賠償させることになります。
2 次に経済的責任追及の第二段として、監督官庁原子力保安院)の不正の有無を追求します。不正な接待を受けていたことが明らかになれば、検査等にお目こぼしがあったと推定され、その場合は原子力保安院の役人への課罰(刑事罰及び免職等の処分)が行われ、同時に責任に応じて公費(税金)が、賠償資金に投入されます。
3 最後の経済的責任追及として、政治家の不正の追求を行います。ここで役人同様に不正な接待を受けていたことが明らかになれば、お目こぼしへの圧力をかけたと推定して、政治家への課罰(刑事罰)が行われ、役人同様その責任に応じて公費(税金)が賠償資金に投入されます。


以上が経済的な責任追及です。
一般財源の投入、つまり国の賠償責任を超えた費用負担は、これらの経済的な責任追及をすべて行った上で、それでも賠償額全額がまかなえない場合、被害者に泣き寝入りをさせるのは、この国の同胞として忍びないという政治判断に基づいて行うべきものです。


今の段階で国家が行うべきは、福島原発に伴う被害を税金でまかなうか、電力料金の値上げでまかなうかなどというアホな議論ではありません。

経済的な責任追及がノーマルな過程で行われることを、法治国家としてしっかりと監督することです。

税金か(会社更生法等を適用し生まれ変わった後の新会社による)電力料金かなどという議論は、その後に出てくることなのです。



※ もちろん、一連の過程で東電が責任を負うべき賠償額が意外と小さく、東電の資産で十分まかなえる可能性もあります。この場合、私は役員報酬のカットさえ不要と考えます。人民裁判ではないからです。
 そして、その可能性も結構高いはずです。なぜなら、東電の賠償責任の範囲に風評被害は通常含まれないからです。納得いかない方も多いでしょうが、これは仕方のないことです。日本人の頭の悪さ(国内風評被害)や信用のなさ(国際風評被害)は東電の責任ではないのですから。