いじめ問題の根の深さ

どなたが紹介してくれたのかしらないが、昨日から今日にかけて当ブログの「このいじめ対策がすごい」の大勢の人に閲覧してもらっているようだ。

この記事は、当ブログの中で断トツの閲覧数を誇っており、いろんな方々が書き込んでくれるし、ご自身のブログでも様々な論評をしてくれている。

評価してくれる人は是非拡散してほしい。

批判している人の意見の中には正反対のものも散見される。

「やりすぎ。トラウマになったらどうする」
「これは警察のやり口で教育ではない」
「教師にここまでの権限を与えて良いのか」
「手ぬるい。こんなことでいじめは収まらない」
「泣いても反省しているとは限らない」
「こんな方法ではやり返されるだけ」
「謝られてもいじめられた者は余計に傷つくだけ」
等々

学校であれ職場であれ、多少の「いじめられた経験」はおそらくほとんどの人が持っていると思う。そして、多くの人がそれを基に考える。
しかし現実に「いじめ」と称されている事実は「成長過程に誰でも起こる軋轢」から「犯罪」まで多種多様だ。その「いじめ」がただの軋轢なら記事のやり方は「やりすぎ」だし、犯罪なら「手ぬるい」。

だから真逆の立場で本記事を批判する人がいるのはよく判る。

それでも、この手法で救われた子ども達はいるはずだし、真面目に「いじめ」に向かい合う先生がいることは、悪いことではないと思っている。