和泉高校口元チェック問題で問われる知性

和泉高校で教師が国歌を斉唱したか否かにつき、和泉高校の校長中原徹氏が教師の口元をチェックし、その後歌っているか否か疑わしい教員を呼び出して事実確認を行ったという。

ことの発端となった読売新聞は
「常軌逸す・人権侵害…国歌斉唱の口元チェック」というタイトルで次のように伝えた。
大阪府立和泉高(岸和田市)の卒業式で、中原徹校長が教職員の口の動きで国歌斉唱の有無をチェックしたことについて、府立高等学校教職員組合(府高教)の志摩毅・執行委員長は13日の記者会見で、『常軌を逸している。あってはならない人権侵害』と批判した。
志摩委員長は『教職員の口元ばかりチェックしたなら、それこそ国歌への態度としていかがなものか』と指摘し、『歌を歌うかどうかは内心に最も深く関わることで、歌わないことを理由にした処分があってはならない』とクギを刺した。
府高教はまた、府立学校の卒業式で国歌斉唱時に起立斉唱しなかった教諭17人が戒告処分を受けた問題について、「憲法で保障された思想・良心の自由を侵す」として、処分の撤回を求める要請書を中西正人・府教育長に提出した。」

これに対して、中原校長はご自身のブログで直ちにより詳しい事実を紹介してくれた。

「昨年、大阪府では、公立高校の卒業式などの式典の際に、教職員は起立して国歌を斉唱する旨の条例が制定され、今年の卒業式に際しては、大阪府の教育長から、すべての教職員に対し、起立・斉唱をするように文書による職務命令が出されました。教育委員会からは、複数回にわたって、全校長に対し、この職務命令を各学校で徹底するよう指示がありました。
 私は、この職務命令が出された際に、起立は容易に確認できますが、斉唱(歌うこと)については、確認が難しいと思いました。確実に確認しようとすれば、誰かが起立しているすべての教職員の口元まで近寄って歌っているかを確かめないといけなくなりますが、これでは、せっかくの卒業式の雰囲気が台無しになり、生徒や保護者のための学校の卒業式としては相応しくないと考え、「どのようにして『斉唱』を確認すればよいか」につき教育委員会に相談しました。
 その結果、教育委員会からは、「遠目でよいので起立を確認しつつ、上を向いたり、下を向いたりなど、明らかに歌っていない教職員をチェックしてくれればよい」との指示を得ました。
 卒業式では、教頭や首席教員が教育委員会からの職務命令・指示に従い、教職員の起立・斉唱を確認しましたが、「3名が歌っていなかったように見えた」との報告がありました。私は、再度教育委員会にその旨報告し、教育委員会からの指示に基づき、事実関係を各教員から確認することになりました。
 3名のうち、2名が「歌っていました」、1名が「歌いませんでした」と答えました。いずれの教員との対話も円滑に進み、反抗的な言動を見せた人もおらず、一定の思想に基づく主張を展開した人もいませんでした。2名の教員は「次回の入学式では誤解されないようきちんと歌います」と答えていますし、1名の教員も「いままでずっと歌って来なくてもよかったので、つい・・・次回からはちゃんと歌います。すみません。」との明快な答えをもらっています。」


 ここまでの事実を判った上で、それでもこの事実がけしからんと感じるのならば、それは各人の思想に関わる問題なので仕方ない。しかし、それならば批判すべきは条例を制定した議会多数派だけにすべきだろう。
 条例に基づいて支持を出した教育委員会(おそらく事務局)や、その支持に従った校長を批判する者は法治国家の基本を判っていない阿呆か、否定しているアナキストのどちらかと言われても仕方あるまい。


 テレビや新聞・ネットなどで中原批判を繰り広げる大多数の人にとっての問題は、国旗国歌に対する態度でも思想の左右でもない。


 どういう事実が起きたのかを立場の異なる複数のソースから情報収集し、自分の思想信条に照らして誰のどの行為を批判すべきかを見極める「知性」である。

 その知性のない人々の中に大阪府の教育委員がいたことは残念でしかたない。ダブル選挙当時に発言していたとおり、直ちに教育委員をお辞めいただきたい。