校内犯罪の4類型

暴行や恐喝は学校の内外を問わず犯罪である。
従って多くの「いじめ」は、そのような生易しい言葉で呼ぶのは相当ではなく、「校内犯罪」という呼称を与えるべきだ。

これが、いじめに対する私の基本的な見解です。

そして、これは体罰にも当てはまります。
暴行は教師が行おうが一般人が行おうが、被害者が生徒であろうが生徒以外の者であろうが犯罪です。
それを学校の中で行われるというだけで「体罰」という名で、大目に見てもらえたのです。


今回、被害者の自殺という痛ましい事件が起きたことで、警察が「体罰」問題で捜査することになりました。
どうか、立件して加害者を相当な刑罰に処してほしいと願っています。


学校が荒れていた1970年代、教師達は進んで警察を学校に呼び入れました。
何のためか?生徒の暴力から自分達を守ってもらうためです。卒業式の際に、それまで体罰という名の校内犯罪を犯していた教師に対して生徒たちが「お礼参り」をする学校が登場しました。
その「お礼参り」から自分達を守ってもらうために教師は警察署に事前に相談し、場合によっては私服警察官まで学校に入れたのです。


校内犯罪には
1 加害者:教師  被害者:教師
2 加害者:生徒  被害者:教師
3 加害者:教師  被害者:生徒
4 加害者:生徒  被害者:生徒
の4類型があります。

1には特に呼び名がなく、それが起きた場合は市民生活同様に「犯罪」として扱われます。
2の典型は卒業時の「お礼参り」です。これは校内暴力とよばれ、教師は比較的あっさりと(時には予防的にでさえ)警察を校内に入れます。
3の典型は「体罰」であり、これを理由に教師が警察を呼ぶことはありません。
4の典型は「いじめ」であり、これについても教師たちは警察の介入を極端に避けようとします。

このように整理すると、彼らが自分の身だけがかわいく、生徒が犯罪被害に合うことに対して如何に冷淡であるかが見事に浮かび上がります。

こんな連中が「弱者の味方」を自称し、全ての犯罪に警察を導入しようという生徒の立場に立った主張を「強者の論理」と偽る低レベルなウソが駆逐されることを切に願っています。


※ 本文でいう「教師」とは日教組民主党系)や全教(共産党系)に代表される左翼教師やそれと同調する政治家、マスコミなどであり、現場にはどんな時であれ犯罪があった場合は警察を入れるべきだと考えている市民感覚を持った教師が少数派ながらも存在することを申し添えます。