下村都知事誕生を待望する

 舛添都政が危機を迎えている。法に反して政治資金を横領した舛添氏の行為は、選挙資金を支持者から借用した猪瀬氏と比較にならないほど悪質だ。朝日新聞やリテラなどの偏向メディアは日本人よりコリアンを大切にする舛添氏を庇おうと必死だが、多少の願望を込めて、舛添都政は早晩終わると予測する。
さて、それを前提として(少々気が早いが)、次期都知事には下村博文氏こそ相応しい、いや彼以外に適任者はいないと主張したい。
都知事は、法的には他の県知事とほぼ同格であるが、現実には様々な点で特殊の個性や能力が求められる。それらの点を挙げて、何ゆえ現段階で下村氏が都知事に最も相応しいかを検証したい。

1 全国的知名度
 自治官僚OBだった鈴木氏が退任して以降、青島、石原、猪瀬、舛添と4代の都知事が誕生したが、どの人も都知事になる以前から全国的に名のしれた著名人だった。下村氏は生粋の政治家であり、作家やタレントだった4氏に比較すれば、知名度はやや劣るが全国的に名の知れた政治家であり、まあこの点は及第点と言える。

2 オリンピックの推進役
 コリアン優遇や政治資金横領疑惑が出てくる以前の段階で、舛添氏が致命的にダメだったのが実はこの点である。オリンピックは、建前上自治体である東京都が立候補し当選したのだが、その陰では政府や日本スポーツ界など様々な人達が陰に日向になって実現した祭典である。そして、政府の窓口は文部科学省である。ところが舛添氏は就任早々に政治的パフォーマンスとして文部科学省の大臣(当時下村氏)や官僚を無能呼ばわりしてケンカを売ってしまった。オリンピックを成功させるためには都庁と文科省が二人三脚でやる以外の選択肢はない。水面下の駆け引きは当然あるが、メディアを使った罵倒は問題外だ。その点、下村氏は自民党を代表する文教族であり、壊れた都庁と文科省の間を修復するのに適任である。

3 都議会との関係
 言うまでもなく東京都は自治体であり、そこには首長と権力を分け合う議会が存在する。それゆえ都知事は都議会各派、とりわけ与党には最大限の気を使うものである。この辺りの感覚がずれていたのが猪瀬氏である。作家から政治家を経ずに都知事になった猪瀬氏は、それまで自分が名も知らなかった都議会議員と妥協して政策を練る事ができず、400万票という大量得票だけを根拠に都政を運営しようとした。お陰で猪瀬時代は石原時代に比較して、行政と都議会の関係が悪化した。徳州会の件がなくても猪瀬都政は行き詰っていた可能性大である。その点、下村氏は自分自身が元都議会議員であり、首長と議会の関係性を誰よりもよく分かっているはずだ。

4 都職員との関係
 どれほど優秀な人でも全ての政策を自分で作り上げる事はできない。実際の政策を形にするのは役人、すなわち都の場合は都職員である。しかし、彼らに政策を丸投げすれば、役人の習性として「権限」と「利権」の拡大しか求めない。そのため、都知事には大枠を判断するセンスや、独自ブレーンが必要になる。その点でまったく都庁役人の言いなりだったのが青島都政であった。青島氏は常々「私のブレーンは都職員です」と言って、都市博覧会を止めた事以外、何の判断もしなかった。

 このように見てくると鈴木都政以降、まともに都知事が機能したのが石原氏ただ一人だった事が理解できると思う。石原氏には、一ツ橋総研という政策ブレーンがあり、濱渦元副知事という役人を抑えるための懐刀がいた。そして、石原都政の下で東京の空はきれいになり(ディーゼル規制)、小中学校で国旗が掲揚され、赤字の銀行も税金を払った(外形標準課税)。
 下村氏が石原氏に匹敵する都知事になれるか否かはさすがに未知数である。
 しかし、他のタレント知事3氏よりも、はるかに期待できるのは間違いない。オリンピックまで多くの時間はない。この世紀の祭典を成功させるためにも、安倍政権には是非、下村氏を都知事に立てるという英断を下してほしいと願う。