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今なぜ武士道なのか その4

江戸期は「武士道」が武士階級の倫理規範から、日本人の倫理規範へと変貌した時代でした。

もちろん、町人が「武士道」に則って商売をしていた訳ではないし、農民が「武士道」に則って田畑を耕していたわけではありません。

しかし、

(1)「武士に武士道があるように商人には商人道があるべき」というメンタリティが生まれ、庶民にも総統に高い規範意識が芽生えたこと。

(2)武士たるものの在り様=俗流武士道規範も庶民に浸透していたこと

は特筆に価します。


(1)があればこそ、日本は明治維新後ただちに資本主義に移行できたのであり、

(2)があればこそ、日本は明治維新後ただちに国民皆兵の導入が可能だったのです。


(1)は「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(マックスウェーバー)との比較により、経済学者や社会学者から語られることがありますが、
(2)を語る学者はあまりいないように思われます(私が無知なだけかも知れませんが)。


しかし、(2)は確かに幕末日本に存在しました。だからこそ長州藩奇兵隊は幕府の正規軍を蹴散らすほどに強かったし、新撰組はどの武士集団よりも恐れられたのではないでしょうか(奇兵隊が非武士集団なのは有名ですが、新撰組も主要メンバーである近藤・土方・沖田などは武士ではありません)。


そして、このような江戸期の武士道の変貌(階級規範から全員の規範へ、戦時の規範から平時も含めた規範へ、リアリズムとエゴイズムだけの規範からより高度な規範へ)と俗流武士道規範の庶民への浸透が明治武士道へと繋がるのです。


 確かに、中世武士道と明治武士道をそれぞれ点として捉えるとき、これらは全く異質なものかもしれません。

 しかし、両者は歴史的な連続性を有しています。そして連続性がある限り、武士無き時代の武士道もまた「武士道」なのです。

 この理は、明治だけでなく平成の世でも変わりありません。