ハロウィンから一晩あけた日の考察

ハロウィンのバカ騒ぎが世間、とりわけ保守系の人たちから白い目で見られています。しかし、私はハロウィンの盛り上がりは、良い意味で極めて日本的な現象であり、日本を愛する者として、この盛り上がりを喜んで迎えると共に、その背景に一抹の寂しさを覚えています。

まず、白眼視に対する反論から。

ハロウィン騒ぎを非難する論の根拠は様々です。
ひとつひとつ反論していきましょう。

1 単純に西洋の祭で、日本のものじゃないから、「日本人たるもの浮かれるんじゃない」という主張
 だったら、クリスマスやバレンタインはもちろん、お釈迦様の誕生日を祝うと言われている花祭りも否定という事になります。ことさらハロウィンだけに当てはめる話じゃないでしょう。
2 キリスト教がヨーロッパでケルト人を取り込む際に使った祭だから、少数民族弾圧ぽくってダメという主張
 世界宗教が使う良くある手法です。仏教にも色々な仏様がいますが、元をたどれば異教の神様だったなんてざらにありますから。ちなみにクリスマスもケルト人の祭に遡ることが可能です。
3 商業主義に乗っかるものだから、くだらないという主張
 バレンタインが盛り上がり始めた時もこういう主張はあった気がします。何かと「商業主義」という言葉を使って習俗の盛り上がりを批判する人がいますが、習俗と商業主義と結びつくのはむしろ当然。商売を批判したいのなら、伝統的な日本の祭に出る的屋の背景に暴力団がいる事の方がよほど批判のやり甲斐があると思いますよ。
4 バカ騒ぎは日本の祭の本来の姿ではないという主張
 誤解ですね。確かに伊勢や出雲の厳かな祭は極めて日本的なものです。庶民レベルで言えば正月に一族なり一家なりが集まって「おせち」を食す時もある種の厳かさが漂います。しかし、一方で盆踊りの時には、江戸時代までは公然と、明治時代も実際は多くの村で老いも若きも乱交をしていたのです。厳粛さと乱痴気騒ぎ。日本人にはまったく異なる「ハレ」の日の過ごし方があるのです。

では、何故これが良い意味で日本的なのか

換骨奪胎して意味なんか考えずに受け入れる。これが極めて日本的です。
クリスマスも戦前は極限られた家庭のものでした。しかし、戦後、夜の街で受け入れられます。昭和の頃の「サザエさん」を読むと、よっぱらったサラリーマンが三角帽子をかぶって家路に向かう姿が描かれています。それが徐々に家庭の祭になり、80年代バブル時代には恋人達の祭になっていった。そこにはキリストの生誕を祝う気持ちなど欠片もありません。
敬虔なクリスチャンは嘆くかもしれませんが、それこそが日本の祭の受け入れ方なのです。
地域の祭にしたって、収穫祭、豊作・豊漁祈願、疫病厄除け等を起源とするものが多くありますが、今それを意識してお参りする人などほとんどいません。御祭神さえ知らない。宗教そのものを意識せず、宗教行事の空気感だけを味わう。これが多数派日本人のあり方なのです。
正月の厳かさ、縁日や神輿が出る祭の盛り上がり、クリスマスの「聖夜っぽさ」。それぞれ空気感だけを味わう。そして、今そこにハロウィンの「バカ騒ぎ」が加わろうとしている。まさに日本的ではありませんか。

しかも、昨年に街が汚れたことが批判されると、今年はボランティアの人たちが出て、繁華街は普段にも増してキレイになった。これも日本人の素晴らしさが現れていると思います。


なぜハロウィンなのか

しかし、正月があり、春祭り、夏祭り、秋祭り等の地域の祭があり、バレンタインデー・ホワイトデーという恋人達の祭があり、クリスマスがある中、なぜ、ハロウィンが割ってはいり盛り上がっているのでしょう。
私は、ハロウィン以外の全ての祭が、実は「会員制パーティー」と化しているからだと思っています。
正月は、実家や家族を持たない人にとっては孤独を確かめる時間に過ぎません。バレンタインデーやホワイトデーは、もちろん義理チョコさえもらえない非モテ男子、渡すだけで変な空気になる非モテ女子には辛い日ですし、クリスマスさえ最近は家族又は恋人がいない人には辛い日になりました。最も多くの人に開かれていた地域の祭は、今では地主や商店街の人間以外、神輿を担ぎませんかという声さえかかりません。
でも、ハロウィンは地域社会につながりを持たない人、実家も家族もない人、恋人のいない人。全ての人に開かれた祭なのです。奇抜な恰好をして渋谷や六本木を歩けば、たった一人でも色々な人に声をかけられ、写真まで一緒に取ろうと誘われる。
私は、今年、夕方の渋谷に出かけましたが、これこそが本当の祭なのではないかと思った次第です。


どんな人でも、日常とかけ離れた時を楽しみたい。そのためには、全ての人を受け入れる空間や時間が必要です。ハロウィンの盛り上がりは、「富」「社会的地位」「家族」「恋人」等々の価値あるものを何も持たない人が楽しむ空間と時間が、現在の日本にいかに少ないかを象徴しているようにも思います。これが私がハロウィンを楽しみつつも、一抹の寂しさを感じる所以です。

保守派は落選運動をすべきか

SEALDsと称した若者達は、無礼で幼稚だったが、最後の最後になって真っ当な主張をしていた。
「選挙に行こう」である。
選挙行動は間接民主制が機能するための最重要な制度であり、他の制度はその「補完」と言ってもよいくらいだ。

しかし、1人1票で自らの代表を決める間接民主制は、「アイツだけは自分達の代表になってほしくない」という国民の思いを汲み取れない。
そこで考案されたのが落選運動である。
SEALDsが今後どうなるのかは判らないが、彼らに近い勢力は次回の国政選挙で落選運動を行うことを予言している。

さて、落選運動はアメリカや韓国で盛んだが、日本の政治文化に合うだろうか。
これが定着して功を奏すならば、保守系の人達も対抗してやるべきだと思うが、私は彼らの行う「落選運動」が国民から支持されるとはとても思えない。

なぜなら、ターゲットが広すぎるからである。
彼らは「安保関連法案に賛成した議員」をターゲットにしたいようだが、これでは「現在の与党に票を入れるな」と言っているだけだ。
それを聞き入れて、投票行動を変える人は、既に与党に投票していないと思う。

落選運動が功を奏すためには、党派的な主義主張イデオロギーを超えた共感が必要だ。
例えば、写真を配りながら
「女性に暴力をふるった〇〇議員を国会に送るな」
「女性の人権を悪用した〇〇議員を許すな」
といったような。
このような落選運動ならば、ある程度有効だし、保守系も大いに活用できると思う。


いずれにしても、次の選挙が楽しみである。
シルバーウィークには、デモの人数が数百人に減ってしまったそうだ。若者は学業や就職活動があるから難しいだろうが、団塊の世代の人達だけでもくじけずに次の国政選挙まで続けてほしい。
国民の自称平和運動に対する嫌悪感が冷めないように。

太鼓を叩いていた子達に「民主主義」と「民主主義の敵」を教えよう

 幼児は太鼓を叩くのが好きです。大声で奇声を発するのが好きな子もいます。最近国会前で太鼓を叩いていた子達は幼児ではないみたいですが、「民主主義って何だ」と奇声を発していたので、教えてあげようと思います。
 皆さんのお近くにあの子達の仲間がいたら、是非教えてあげてください。


1 「民主主義」とは、意見の違う相手の立場を尊重することです。
ですから「平和安全法案」を勝手に「戦争法案」と呼ぶような人達は民主主義の敵です。
与党の人達は、万が一心の中で思っていたとしても、国会の議場で民主党共産党社民党の人達を「売国奴」とは呼びませんし、山本太郎氏を「低能」とも呼びません。少なくとも、国会は民主主義の実現を目指す場だと心得ているからです。

2 「民主主義」とは、いきなり自分の考えを押し付けるのではなく、相手との妥協点を探ることです。
 ですから、国会で多数派を占める与党を基盤にする政府法案を、気に入らないかといって妥協点を見いだす努力もせず「廃案!廃案!」と叫ぶ人達は民主主義の敵です。
 与党の人達は、「次世代の党」「日本を元気にする会」「新党改革」の人達の主張を付帯決議に取り入れるという形で妥協を図りました。これが民主主義です。また、「次世代の党」他の人達もイデオロギーを超えて、修正案を練り上げました。これが民主主義です。
 SEALDsの皆さんが「帰ったらご飯を造って待ってくれているお母さんがいる平和を守りたい」と訴えた時に、その訴えがフェミニズムの立場から気に入らないと批判した上野さんとかいうおばさんがいたでしょう。ほんのささやかな違いが許せない。そういう人が民主主義の敵です。
ちなみに、平和安全法制は、そういう皆さんが願う平和を未来に向かって守るために造られたのです。

3 「民主主義」とは、妥協点を見いだせなかった時には多数決で全体の意見を決めることです。
 人間ですから、いくら話し合っても妥協点を見いだせないこともあるでしょう。そういう時には、人の値打ちは皆平等ですから、全員が平等に同じ1票を持って多数決で意見を決める。それが民主主義です。
 100時間も話し合ったのに、暴力で多数決(国会では採決といいます)を妨害した人や、自分達が通路を通せんぼしているのに、それを退けようとしたら「セクハラ、セクハラ」と叫んだおばさん達がいたでしょう。あれが民主主義の敵です。

4 「民主主義」とは、多数決で決まった意見に皆が従うことです。
 中東でデモをして選挙が行われた時に「アラブの春」と喜んでいた人がいたでしょう。だけどデモによって選挙を実現した人は、自分の気に入らない選挙結果に従わず暴力で抵抗しました。そして、今アラブ世界から大勢の難民がヨーロッパに押し寄せています。
 皆さんと一緒にデモをしたおじさんおばさんが、もし「こんな国会議決に従えない」と叫んだとしたら、その人達が民主主義の敵です。
もちろん、日本は民主主義の国であると同時に立憲主義の国でもありますから、裁判で平和安全法制の違憲を争うことは問題ありません。しかし、万一、自己判断で違憲だから従う必要がないと言い出したら、その人達は民主主義だけでなく立憲主義の敵でもあります。

結論:わが国では、あなた達が呼び捨てにしていた総理大臣や、その仲間達が民主主義を体現しているのです。そして、あなた達をちやほやして、代表を国会にまで呼んでくれたおじさん、おばさんこそが民主主義の敵です。
判ったら、もう法律は成立したのですから、明日から頑張ってお勉強をしましょうね。

安保関連法案賛成派にこそ読んで欲しい。中東有事での後方支援は危険

政府案がそのまま衆参両議院を通過すれば、中東有事の際に自衛隊がアメリカ軍を後方支援する事が可能になります。具体的には米海軍への物資輸送とホルムズ海峡付近の機雷除去が主な任務になるでしょう。
私は、東シナ海南シナ海で中国の軍事拡張を封じるために自衛隊が後方支援する事には大賛成ですが、中東有事に対する後方支援には反対です。以下、その理由を述べます。

1 アメリカの中東政策はコロコロ変わる。
 イラク戦争の記憶が生々しいためか、現在中東諸国でアメリカと事を構える覚悟のある中東諸国はありません。ですから、アメリカが軍事行動を起こす相手として最も可能性の高いのはIS(イスラム国と称するゲリラ)でしょう。しかし、中東諸国の多くは政治的に不安定ですから、いつ原理主義的なイスラム主義を標榜する国が誕生するか、その国とアメリカが軍事衝突するか、まったく予測できません。ただ、一つ予測できるのは、政府案が通れば日本は後方支援を断れないだろうという事です。
 対立構造が単純かつ安定的な東アジアでさえ、まともな外交のできない日本の外務省が、中東で上手く立ち回れるとはとても思えません。

2 陸の後方支援はハイリスクである
 アメリカがISを軍事攻撃する際に日本が後方支援するとなると、陸路を使った物資輸送も任務に入る可能性が出てきます。空や海における軍事衝突では、武器の性能が圧倒的に大切です。東シナ海南シナ海付近で日本を含めた米国同盟軍と中国軍が衝突すれば、中国軍は駿殺されますし、日本単独で物資輸送している際に中国海軍と遭遇しても、自衛隊は余裕で勝てるはずです。
 しかし、陸ではそうはいきません。ライフル程度の武器しかないゲリラでも戦闘の仕方次第で近代軍に相当の被害を与える事が可能です。
 陸での後方支援は自衛隊にこれまでと比較にならない危険な任務を与えることになるのです。

3 中東諸国の対日感情を害しかねない。
 アメリカがISに対し直接的な軍事行動を取れば、中東諸国のほとんどは賛成を表明するでしょう。それは中東諸国の国家運営がリアリズムに基づいて行われているだけのことであり、国民感情は別です。
 彼らが「キリスト教徒がイスラム教徒を殺害している」「白人が我々の同朋を殺している」という感覚を持たないとはとても思えません。その時に日本が武器弾薬などの物資輸送を手伝っていたとしたら、米軍艦が通りやすいように機雷除去作業をしているとしたら、現在の圧倒的な親日感情に傷がつくことは避けられません。

4 中国が漁夫の利を得る可能性がある
 中東諸国民の対日感情が悪化して、最も得をするのは中国です。今後益々石油が足らなくなる中国は、国内でイスラム民族を弾圧しつつも中東諸国とは密接な関係を築こうとしています。中東諸国にとっても、技術水準が低く石油を「がぶ飲み」してくれる中国は大切なお客様です。という事で、中東諸国民の対日感情の悪化は、どんな形で中国を利し日本に悪影響を与えるか予測できないのです。


 幸い、野党の中には「徴兵制になる」といったデマを飛ばし「絶対廃案」と主張する党だけでなく、対案を出している党もありますから、政府は修正協議に応じて一部変更することができます。
 その時に課題になるのが「盟主国アメリカの内諾」と「衆議院での再議決などの立法テクニック」です。その両方の要請を一気に満たす手法があるのでご紹介します。


重要影響事態安全確保法(周辺事態法の改正バージョン)の附則に
「但し、当分の間、本法による自衛隊が活動できる範囲を東経80度以東東経180度以西とする」


この一文を入れるだけで、中東有事における直接的な後方支援は不可能になります。
参議院で政府案を修正可決すると、衆議院に戻して再可決しなければなりませんが、その時間的余裕がないので、与党は修正案に消極的なのです。
しかし、この案ならば、ほとんど議論がいらないので政府が修正趣旨を説明して即日可決しても問題ありません。
また、附則に過ぎない上に「当分の間」という暫定文言入りですから、アメリカに対して説明することも比較的容易いはずです。

安全保障関連法改正の必要性と問題点

「安倍さんは戦争したいの」「中国は攻めてくるの」とか聞かれる機会が多くなったので、「俺に聞くなよ」と思いながらも解説してみました。

1 戦後一貫して続く大前提
(1)自衛隊は単独で戦えない
 自衛隊が強いか弱いかはよく議論されますが、私は自衛隊を「極めて訓練度の高い、不完全な軍隊」と評価しています。従って、米軍と共同で戦う場合は、世界トップレベルの強さを発揮しますが、自衛隊単独では日本国を守れないのです。
具体的に言うと、軍事力は「防衛力」と「報復攻撃力」に分解されるのですが、自衛隊は後者(兵器レベルで言えば巡航ミサイル、空母、爆撃機など)を持ちません。従って、尖閣列島沖縄諸島を上陸占領されても取り返せない、他国に東京を攻撃されても他国の首都をほとんど攻撃し返せないのです。
何故、こんな状態で平和が守られているかと言えば、自衛隊の「防衛力」は強固なので日本を侵略するには時間がかかる、その間にアメリカが日本に侵略してくる国に報復してくれる、というスキームを信じているからです。従って、日本が独自で「報復攻撃力」を持つまでの間は、日米安全保障を強固に保つことは日本の生命線です。
(2)中国軍シビリアンコントロール下にない
 中長期的に見た時に中国に日本の領土(とりわけ尖閣諸島沖縄諸島)を侵略する意図があるかどうかは不明ですが、はっきりしているのは当面は堂々と戦争を仕掛けるとは考えられないということです。
 しかし、軍幹部が国際政治に直接口を出す状態から、現在中国では政府が軍を掌握できていないことが読み取れますし、「シビリアンコントロール」という理念さえありません。あるのは権力闘争だけです。そうなると、中国政府に戦争をする気はなくても、日本の領海で中国軍が米軍や自衛隊に攻撃をしかけてくる危険性は少なくありません。この場合は侵略行為を受けた訳ですから、中国軍が引いた上で中国政府が謝罪と賠償をしない限り、自衛戦争になる可能性がゼロではないのです。

2 最近の情勢
(1)日本の国土及び東シナ海日本海、太平洋周辺
 日本はこれらの海に囲まれていますから、この海域の平和と安全は最重要課題です。この近辺で日本の国益に直接かかわる安全保障上の課題は、
・日本国民が日本の国土で北朝鮮に拉致された問題
・日本の領土である北方四島がロシアに占領され続けている問題
・日本の領土である竹島が韓国に占領され続けている問題
・日本の領土である尖閣諸島について、中国が領有権を主張している問題
・中国が日中双方の200海里(大きくかぶっている)の中間線を大幅に超えた領海の主張をしている問題
の5つが代表ですが、朝鮮有事の際に戦争に巻き込まれる可能性もゼロではありません。
 但し、上3つ(拉致問題北方領土問題、竹島問題)は、日本の側から「国際紛争を解決する手段として」軍事力を使わない限り、戦争にはなりません。ですから、軍事衝突が起こる危険性が圧倒的に高い相手方は中国ということになります。
(2)南シナ海周辺
 このエリアでの日本の最大の課題は、シーレーン(石油等の輸送ルート)の確保です。その大切な南シナ海で、中国は浅瀬を埋め立て、人工島を造り、自国の領土と領海を増やすという露骨な国際法違反行為を行い、アメリカ、インド、東南アジア諸国と軍事衝突が起こる危険性が増しています。
 万一、軍事衝突によりシーレーンが封鎖されれば、日本経済にとって死活問題ですから、「日本人の財産」を守るために、日本として可能な貢献が求められています。
(3)中東付近
 従来のイスラエルイスラム諸国の対立に加え、イスラム諸国内もシーア派スンニ派世俗主義(トルコ、フセイン時代のイラク、エジプトなど)対イスラム主義、親米派(サウジ、アラブ首長国連邦等)対反米派、そしてISの台頭など複雑怪奇で、とても日本外交がその中で上手く泳げるとは思えません。
しかも、エネルギー事情から全ての国と等しく仲よくしておきたい日本と、シェールガスの採掘によりエネルギーのほとんどを自国で賄いうるアメリカとはまったく利害が異なります。だとすれば、常にアメリカの軍事活動を支援するような対応はリスキーです。

3 安保関連法案の中身
 今回の法案は1本の新設法案と10本の改正法案から成り立っています。改正内容は、大きなものから派生的なものまでありますが、重要な部分は以下のとおりだと思います。
(1)武力攻撃事態法及び自衛隊法の改正
 マスコミを最も賑わせた集団自衛権に絡む改正です。従来の二つの法律では、日本国や自衛隊が直接攻撃されない限り自衛隊は反撃できませんでした。しかし、今回の改正により、同盟国や同盟軍が攻撃された際にも反撃が可能になります。
これは、東シナ海の状況を考えると当然の改正です。もし、日中の中間線よりも日本よりの海域で米中が軍事衝突し、自衛隊が米軍とともに戦わないとすれば、その後アメリカが日本防衛に消極的になるのは目に見えています。それは、単独で戦えない日本にとって、安全保障上の重大な危機になります。
しかし、南シナ海や中東付近では話は異なります。このエリアの自衛隊の任務はPKOや後方支援ですから、南シナ海での米中軍事衝突、中東付近での米軍とIS等の軍事衝突が起きた際に日本が直接米軍側に立って戦わなくても、後方支援さえ怠らなければ裏切りにはなりません。
もちろん、後方支援も軍事行動ですから、米軍の敵に攻撃される危険性はありますが、その際に反撃することは現行法で可能です。
政府法案の問題点は、集団的自衛権という解釈改憲にあるのではなく、それが適用される地域が日本国周辺に限定されていない点だと私は思っています。
(2)国際平和支援法案の新設
 唯一の新設法案なのにその内容がほとんど騒がれないのは、マスコミや野党も「危険」と認識していないからでしょうか。
イラクアフガニスタンにおいて国連軍を後方支援する目的で自衛隊を派遣していましたが、その時は一々「特別措置法」を制定していました。今回、国際平和支援法ができることで一々特別措置法を作る必要はなくなります。しかし、国会の事前承認が必要なので政府の判断だけで国連軍支援のための自衛隊派遣はできません。また、この法律に基づいて派遣されるためには、国連による武力行使が前提になります。
世界が共同して軍事力を行使する際に、日本が後方支援することに反対するつもりはないので、この法案そのものに反対ではありませんが、国会議決については慎重に議論してほしいと思います。例えば、現在停戦中の朝鮮戦争国連による武力行使の典型ですが、万一朝鮮半島で再び戦争が起きた時、日本が米韓を中心とした国連軍に後方支援する必要があるのか大いに疑問です。後方支援した際に、在日朝鮮人を多く抱える日本に、テロ等のリスクがどれほどあるのか等々、検討すべきリスクは山積みだからです。
(3)周辺事態法の改変
 これは(1)とも連動して後方支援を可能にする改正ですが、法律名が「周辺事態法」から「重要影響安全確保法」と名を改めます。この法律ができると、国連武力行使決議がなくとも、また緊急の場合は国会の事前承認がなくても、自衛隊は日本の存立に重要な影響を与える地域ならどこでも米軍等の後方支援が可能になります。
 この改変と(1)の改正が組み合わせることで、日本は状況次第で南シナ海で米軍その他の国の軍隊とともに中国軍と戦う可能性もあれば、中東付近でIS相手に戦う可能性も出てくるのです。
 不完全な軍隊である自衛隊しか持たない日本が、そこまでの軍事貢献をしなければならないのでしょうか。私は今回の政府改変案には大きな疑問をもっています。
(4)その他の法律の改正案
 割愛

4 「戦争法案」という批判が何故、日本にとって害悪なのか
 今回の法改正を「戦争法案」として廃案に持ち込もうとしている人達がいます。この人達は、中国や北朝鮮の危機をリアルに防ごうとする人達(いわゆる保守派)にとって迷惑であるばかりでなく、「とにかく戦争はイヤ。戦争の事を考えるのもイヤ」という戦後民主教育の多数派(?)にとっても害悪です。
 なぜなら、政府提出案は3で見たように、色々と問題を抱えています。一言で言うならば「アメリカの要求に対して満額回答過ぎるが故に危険」なのです。しかし、「自衛隊は米軍の支援なしで単独で戦えない」「中国政府が膨張主義を取っている上に中国軍が統制されていない」という状況では、アメリカの要求に対するゼロ回答は、満額回答以上に危険な選択になります。
 だとすれば、政府案(満額回答)を出発点にして、日本国にとってベストな回答を練り上げるのが政治に求められているのではないでしょうか。
全ての野党が「戦争法案だ」「徴兵制への道だ」などと言って騒ぐだけなら、政府法案は原案のまま通るでしょう。それで得をするのは、はなから政権を担当するつもりなどなく、支持者に「やっぱり政府は酷い」「安倍政権は怖い」という印象を植え付けることに成功し、得票数を増やすだろう共産党社民党だけです。それ以外の政党には政権担当能力なしとして、厳しい結果が待っているでしょう。

5 参議院による真摯な議論を期待する
 国内政治状況を理由に国際的な公約を値切る手法は、どこの国も使っている手です。アメリカなど、国際連盟を提唱しておきながら参加しないという荒業までやった国ですから、国会審議に提出した段階で、安倍政権はアメリカに対する義理を果たしたと言えるでしょう。
 維新の会からとても真っ当な修正案が提出されました。まだ1月以上もあるのですから、参議院では、この法改正により軽減するリスクと発生するリスク等をしっかり議論し、「自衛隊の現状に見合った貢献で、最大限平和の維持に資する」法律を制定してほしいと思っています。

参院こそはまともな安保関連法案の議論を

いよいよ参議院で安保関連法案の審議が始まります。

私は、日本国民の命と財産を守るために安全保障体制を強化することには大賛成なのですが、今回の安全保障関連法案には、2つの点で不満を持っています。

一つは、2年程前に一部で話題となった「ポジティブリスト」問題を、また避けてしまったという点です。
通常軍隊というのは、有事に敵国相手に活動する訳ですから何をやっても良い存在です。
しかし、人類の不幸な歴史から正規軍には「ガス兵器や生物兵器は使用しない」「敵国の市民は殺さない」「国際法規に違反する捕虜の取扱いはしない」等々の縛りをかけられています(その点がゲリラとの決定的な違いです)。
そしてこれを「ネガティブリスト(やってはいけないリスト)」と呼びます。つまり近代国家の軍隊は「ネガティブリスト以外は何をしてもよい」存在なのです。
ところが、自衛隊は「やってよいこと」=「ポジティブリスト」が定められていて、それ以外はやってはいけない。どんな時に発砲してよいかも全部定められていて、そうでない時に発砲したら後で処罰されます。これでは、有事の際にいちいち法令との整合性を判断しなければならず、機動面で致命的な弱点になります。
「直接侵略された場合以外は同盟軍の後方支援、ただし同盟軍が攻撃された際には駆けつけ警護も可能」という今回の政府案は、基本姿勢として至極真っ当ですが、それを個別に法律で縛る現段階での安保関連法案は、「法令のせいで機動力に劣る自衛隊」という大問題を先送りしてしまったという印象をぬぐえません。
現在の政治勢力で、その点を指摘できるのは「次世代の党」だけでしょう。幸い「次世代の党」は参議院議員の方が大勢いるので、政府案を修正させるところまでは届かないにしても、この議論を是非国会議論の遡上にのせてほしいと思います。
そうすれば、安保関連法案が通っても、自衛隊は米国の同盟軍として、韓国軍やオーストラリア軍よりも、遥かに消極的な役割しか担わない存在であることが浮き彫りになり、「戦争法反対」なんて叫んでいる勢力の欺瞞を間接的に明らかにできると思います。

政府案に対する不満の2点目は、マスメディアでもよく指摘されている「存立危機事態」という概念の曖昧さです。
政府が諸外国への配慮から、これを明確にできないのは理解できますが、メディアは明確にして議論すべきでしょう。
政府案文言のままでは、中東危機が含まれてしまう可能性を否定できません。中東においてはイスラエルよりの米国政府と産油国と友好関係を維持する日本政府の立場は異なります。ですから、米国の軍事行動を例え後方といえども支援すべきでないし、駆けつけ警護を引き金にした産油国との武力衝突などもっての他だと思っています。
その点では、「維新の党」の修正案である「武力攻撃危機事態」=「条約に基づきわが国周辺の地域においてわが国の防衛のために活動している外国の軍隊に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険があると認められるに至った事態」というのが、より妥当だと思います。
しかし、中東を除外し南シナ海などを射程に含めた、よりよい文言があるかもしれません。

いずれにしても、政府与党と「次世代の党」「維新の党」が胸襟を開き、日本が将来にわたり、近隣の独裁国家に侵略されることのないよう、無益な戦争に巻き込まれることのないよう、しっかりと議論してほしいと思っています。

敵の敵は味方というロジックでイスラムを語る危険

イスラム国による日本人誘拐及び殺害事件に対する安倍政権の対応を評価する人が約6割で、身代金を払うべきでないと考える人が約7割という調査結果が出た。

左翼的正義を信じている人にとって、今の日本社会は恐ろしく右傾化しているんだと思う。
しかし、私の立場からすれば急激に日本社会がまともになっているとしか思えない。

もちろん200億円もの身代金を払うべきと考える人が2割近くもいるのだから、左翼的正義を頑なに信じる人もまだ多少はいるのだろう(あるいは幼児的な「〇〇ちゃんを何としても助けてあげて」という感性だけなのかもしれないが)。

中東問題に関して

1 中東と欧米(特に米英仏)は対立関係にある。
2 日本の右派は欧米諸国の中東における軍事行動を支持するが、日本の左派は彼らの軍事行動を支持しない。
3 よって日本の左派は「敵の敵は味方」という論理により中東の味方である。
という論法を左翼は戦後ずっと得意としていた。

この論法には、大抵2つのおまけがつく。

4 さらに日本国は米国に原爆を落とされたという点でも米国に空爆されている中東地域と同じ苦しみを共有している。
5 その上、日本には素晴らしい憲法9条があるので未来永劫中東で軍事行動を起こさない。

しかし、
これらの主張は世間から完全に見放されたようである。
最後の引き金を引いたのは後藤健司氏の母親だ。
あの前代未聞の愚かな会見により、中東問題と原爆や日本国憲法を結びつける主張は、それだけで「頭が悪そう」という認定を受けるだろう。

それはそれで喜ばしいことである。
ただ問題は、かつての古い左翼論理に対する反作用で、わが国の保守系の人達に親イスラム派が少ないような気がする。

実際には中東諸国は単純な反欧米ではないし、イラクのクエート侵攻の際には軍事的貢献をしなかった日本に対する評価は低かったというように、先に示した左翼の中東問題ロジックなど、日本の知能の低い人達を騙すためのマガイモノに過ぎない。


同じ「敵の敵は味方」という単純なロジックならば、中国の軍事的脅威にさらされる日本にとっては、
1 中国は今現在もウイグル地区においてイスラム教徒を弾圧している。
2 これに対し日本の左派は、それを見殺しにしている。
3 まだ大きな声ではないが、日本国内で唯一これを批難しているのは右派である。
4 したがって、日本の右派こそがイスラムの味方である。
という方が説得力があるだろう。

ただ、私としてはそのような「敵の敵は味方」という論法ではなく。
素直に
1 イスラム教徒に対する一切のヘイトクライムがなく
2 宗教的寛容性という点でキリスト教系の先進国よりも優れ
3 エネルギーの商取引という点で経済的利害も一致する
日本は、
イスラム地域の政治体制、宗教体制がどのようなものになったとしても
最も友好関係を維持すべき相手である
と主張するのが妥当だと思う。

今回の事件がどのような結果で終わっても、日本とイスラムの友好に傷がつかないことを祈っている。