ゆとり教育は生涯学習社会に必要だったのか?

 ゆとり教育を推進した連中は、生涯学習社会がその背景にあるという主張する。
 現代が生涯学習社会であることを否定するものは少ない。誰も否定できないことを根拠にする言説は概ねインチキである。

 とりわけ、この言説は多くの人々の無知に付け込む悪質な主張といえるだろう。

 生涯教育・生涯学習の重要性に対する認識は、日本だけでなく世界的な潮流である。ユネスコの「21世紀教育国際委員会」は、1996年に『学習:秘められた宝』と題する報告書を提出した。
 21世紀教育国際委員会委員長のジャック・ドロールは、タイトルの「秘められた宝」の由来を「農夫とその子供たち」というラ・フォンテーヌの寓話からとったと序文の最後で明らかにしている(さらにその原典はイソップ物語である)。

 それは次のような物語である。


 骨折って働くがいい。それがなによりまちがいのない元手。
 ある富裕な農夫は死が近いことをさとって、子供たちを呼び寄せ、ほかに人がいないところで語った。
「ご先祖さまがのこしてくれた土地を売るようなことはせぬがよい。宝が隠してあるのだ。
 場所はどこか、わしは知らぬ。だがすこし根気よくやってみれば、みつかるだろう、探しだせるだろう。
 取り入れがすんだらすぐに、畠の土をひっくりかえせ。
 掘りかえし、鋤きかえし、深く掘りおこして、どこもかしこも、なんべんも、あたってみるのだ。」
 父親は死ぬ。
 子供たちは畠をひっくりかえしてみる、あちらこちらと、いたるところを、丹念に。そこで、一年後には畠は例年より豊かな収入をもたらした。
 隠し金はなかったが、父親は賢明にも、死に先だって息子たちに教えたのだ。
 労働は宝であることを。(岩波文庫、今野一雄訳)


 この短い物語をタイトルにつけたユネスコの意図を「生涯学習しつづけることこそが宝である」と考えることに大きな異論はないだろう。しかも、最初から最後まで一生懸命にである。

 この物語から、生涯学習社会において人は一生涯学習するのであるから、学齢期の学習量は少なくともよいという文意を読み取ることは私にはできない。

 生涯学習社会だからこそ、学校は一生学習しつづけることのできる知的強者を育成しなければならないのである。

九九や漢字の読みもあやしい低学力児の発生を「生涯学習社会」のせいだとする論者が極東にいるとはユネスコの幹部は知る由もないだろう。