平野大臣殿、なぜ「学校に行かなくてよい」と言わなかったのですか

フリースクールの子供達から「学校は無理していくところではない。つらいなら行かなくてもよい」という情報発信をしてほしいという要請を受けた平野文部科学大臣が、それには応えず「大変貴重な話を聞かせてもらった。不登校になっても生きる道はあるので、生き抜いてほしい」と語ったそうです。

これはもう法的見解としてははっきりしています。
子供が、学校に行くのが死ぬほどつらいなら学校なんて行かなくても良いのです。
文部科学省のトップとして、それに応えてあげるのにいささかの躊躇もいらないと思うのですが。


また、19歳の女性は
「学校に行かなければ人生が終わり」
と責められたとか。

ないない、そんなこと絶対にありません。

ここは平野文相のおっしゃるとおり、
不登校になっても生きる道はある」のです。

ここまでは、私は断然フリースクールに通っている子供たちを支持します。


でも、問題はその親です。

彼らのうちの少なくない人達は、大企業に入社することに極めて大きな価値を抱いていて(そして、その価値観が子供にも伝播していて)、
彼らがこの先の人生、具体的には就職活動の際に大企業入社に不利になることを、とても気にしています。

人によっては、不登校経験者が就活で不利なことを差別だとさえ言い張ります。

それは無茶です。

就職活動というのは、大学3年までの生き方全てが問われるのです。

10代の時に学校がつらかったからって行かなくなった人間を雇いたい企業はありません。

でも、心配無用。中小企業はこの不況下でも人材不足です。
一流大卒の不登校経験者の方が、読み書き計算があやしい三流大卒よりも「使える」と判断する企業はきっとあります。

地方公務員は今のところ試験のウエイトが極めて高いし面接だって過去の不登校など問わないところがほとんどです。国家公務員も1種や2種は省庁採用なので採用面接段階で厳しいけど、専門職なら合格≒採用です。

吉野家のようにバイトから社長になれる企業もあるし、バイトなどの職業経験を経て起業という道もあります。

学者の道ならまったくノープロブレムです。上手くすれば、不登校経験やフリースクールで得た人脈をネタに学術論文を書けるかもしれません。

資格試験に挑戦する道だってあります。看護士のように慢性人手不足の分野の資格を持てば就職は大丈夫でしょう。

つまり、
不登校になるのは自由で、かつ不登校はその後の人生で何のハンデも背負わない」

不登校になったら人生オワリ」
というオールorナッシングの発想こそが間違っているのです。

「死ぬほどつらいなら学校になんか行かなくてもよい。でも今の日本で不登校経験は、それなりのハンデを背負う。ただし、ハンデを背負ったからといって生きる道はいくらでもある。さらに言うなら不登校経験のハンデなど大学中退のハンデや新卒就職しそこねたハンデと同様、大企業一括採用から漏れる程度のものだ」
という極々当たり前の現実を、子供たちに教えてあげることこそが重要なのではないでしょうか。